2011年1月21日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム ついに雨が似合う背中となっている 前田 弘 評者: 川名つぎお 読みは共示的・多層的。ついに何事か為しとげた人の姿を、自らに引きつけ、かつ自画像として書ききってもいる。現在『現代俳句』誌の編集長として辣腕をふるうことが、あらかじめ予測しえた前田俳句の全方位風な態度となって現われた、 […]
2011年1月11日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 大花野ぼくの臓器(オルガン)鳴りました 安西 篤 評者: 川名つぎお 草花の咲き乱れる広野と「ぼくの臓器=内臓」いっさいが悦びそよぐ。共時的に個人史の流れの思い出、記憶、歴史など、絶対の個の無意識界にまで及んでゆく意思表示がシンフォニーへ、と。しかもどこか明るく、どこか寂莫とした深層構造 […]
2011年1月1日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 妹を泣かせて上がる絵双六 黛まどか 評者: 坂田直彦 退職が近づいたころ「こどもはいく」という小冊子をまとめるため、小・中学校の国語科の教科書を全部集めた。俳句がどう扱われているか確認したかったからである。 小学校では六年生または五年生が俳句の勉強をすることになっている […]
2010年12月21日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 菊根分けあとは自分の土で咲け 吉川英治 評者: 坂田直彦 ながらく「一茶祭り・全国小・中学生俳句大会」を主催しておられた吉野孟彦師を炎天寺に訪ねたことがある。炎天寺は 痩せ蛙負けるな一茶是にあり 一茶 の詠まれた所として、この大会を継続しておられるのである。訪問したのは […]
2010年12月11日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 誰が妻とならむとすらむ春着の子 日野草城 評者: 坂田直彦 私が初めて購入した歳時記は、「角川文庫・俳句歳時記」である。そして、最も惹かれたのがこの句である。私は、伊丹三樹彦先生に師事していたので、草城は先師ということになる。 可愛らしい、無邪気な春着の子が見えてくる。この子 […]
2010年12月1日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 雁(がん)も舟も海峡わたるとき迅し 石原八束 評者: 佐怒賀正美 八束の生前最後の作。雁に「がん」と振り仮名が付いていたことに一時は驚いたが、八束の心中を忖度しすぎた嫌いがある。一般的に見れば、「かり」か「がん」か読者が迷わないようにとの配慮であったのだろう。 海峡の早い流れに流さ […]
2010年11月21日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 冬木のどこ曲がりても楼蘭へ行ける 塩野谷仁 評者: 佐怒賀正美 虚をいかに呼び出し、愉しんで親しく表現するか。この句集『全景』から学んだことは多い。この句の心のひらき方などは、たとえば、 木にのぼりあざやかあざやかアフリカなど 阿部完市 などに通じるものを感じる。日常の […]
2010年11月11日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 月しろの獏のとほつてゆきしやう 松澤 昭 評者: 佐怒賀正美 月白のほの明るい空にぼうっと白んだ雲でもたなびいていたか。それは獏が通り過ぎたあとのようだ、というのだ。実は、この句は「月白」以外に何も具体的に描いていない。それなのに、神秘的なしずけさとほんのりとした親しさを感じるの […]
2010年11月1日 / 最終更新日 : 2019年2月7日 gendaihaiku 現代俳句コラム 銀河系のとある酒場のヒヤシンス 橋 閒石 評者: 桑原三郎 ずっと好きな句の一つである。その魅力の一つは、銀河系をいうまさに宇宙規模の世界から、とある酒場(どこでもいいけれど、多分日本のどこかの都市の、閒石さんの場合であれば神戸のちょっとした場末の)へと場面が移り、更にそのお店 […]
2010年10月21日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 gendaihaiku 現代俳句コラム 露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 攝津幸彦 評者: 桑原三郎 とても厄介な句をあげてしまったのだが、でも何だかこの句について言ってみたい気がする。そんな気持ちをなんとなく起こさせる句である。この句を知ったのが何時だったのか、多分、攝津幸彦がまだ活躍中であったろうから、どうして金魚 […]