2005年12月8日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 三月の甘納豆のうふふふふ 坪内稔典 評者: 鈴木石夫 作者は京都の大学の先生なのだが、こういう、いわば遊びの句を好んで書いている。掲句は、そうした作者の代表作の一つといってもいいだろう。実はこの手の甘納豆俳句は三月だけではなく、一月から十二月まで、一種の連作として作られて […]
2005年10月31日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く 日野草城 評者: 鈴木石夫 切ない一句である。草城最晩年の作。彼は晩年、緑内障のため隻眼を失明している。しかし使用する眼鏡のレンズは左右両方ついている。で、眼鏡を拭う場合、ほんとうは見える方のレンズだけで間に合う理屈だが、やはり両方拭かずにはいら […]
2005年10月3日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 短夜や乳ぜり啼く児を須可捨焉乎(すてつちまをか) 竹下しづの 評者: 鈴木石夫 この句に初めて接したのはいつだったか。記憶はさだかでないが、たしか50年ほど前のことだった。 上五・中七までの発想描写は、ほぼ一般的な従来のものと大差はないが、度肝を抜かれたのは「スベカラクスツベキカ」という漢字によ […]
2005年8月29日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 人の死は灯をこうこうと朧なり 和知喜八 評者: 山崎 聰 知人の訃報に接し、通夜に駆け付けたのであろう。「こうこう」は「皓皓」か或いは「煌煌」か。いずれにせよ、明るく灯が点っている形容であろう。通夜のときの照明は何故か常より随分明るい。 「人の死は」と、真正面から詠い出してい […]
2005年7月28日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 枯芦へ落日の金放ちたる 桂 信子 評者: 山崎 聰 実景であって実景でない、とはこういう句を云うのであろう。 一面金色の世界、ほかには何もない。 枯芦の金、落日の金、こちら側の世界と向こう側の世界が相呼応して金一色の世界を形作る。 云い方としては、“枯芦へ…放ちたる”と […]
2005年6月30日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 銀座より帰りて寒し材木座 鈴木六林男 評者: 山崎 聰 銀座はもちろん東京の銀座、材木座は鎌倉の材木座であろう。上京し、銀座で知人と歓談して、寒夜を宿のある鎌倉に帰ったのだろうか。ただそれだけのことなのだが、銀座と材木座の見事な対応に息を呑む。日本の繁栄の象徴とも云える近代 […]
2005年6月1日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム くらがりに歳月を負ふ冬帽子 石原八束 評者: 山崎 聰 まずくらがりの中で冬帽子を目深かにかぶった男の姿が浮かぶ。オーバーの襟を深く立てていて、顔は見えない。男がうしろに引いている黒い影は、さながらその暗い過去の歳月を負っているかのように暗い。 作者は生前「内観造型」とい […]
2005年5月5日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 春ひとり槍投げて槍に歩み寄る 能村登四郎 評者: 山崎 聰 一読、槍投げのポーズをした古代ギリシャの彫像が思い浮かぶ。槍が手を離れる瞬間、すっくと爪先立ちになって、一瞬動きが止まる。そして投げられた槍は、遥か彼方で鋭い角度から地面に突き刺さる。彼はそれを見定めてから、ゆっくりと […]
2005年4月4日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 死して師は家を出てゆくもぬけの春 三橋敏雄 評者: 山崎 聰 三橋敏雄の師は西東三鬼である。その三鬼は、昭和37年4月1日、万愚節の日に、61歳で他界した。師の生前、作者はときどきその家を訪ねたが、師はいつも家を出ていて不在だった。そのこともあって、「死して師は家を出てゆく」が発 […]
2005年3月3日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 炭俵照らしてくらきところなる 小川双々子 評者: 和田悟朗 今日、ふつうの家では炭俵は置いていないだろう。しかし、火鉢や炊事などに炭火を用いていた五十年ほどの昔のころまでは、大抵は木炭を俵で買って納屋の隅などに置き、小出しして使ったものだ。炭はもちろん真黒だから、明るく照らして […]