2001年12月3日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 鶴が来る山河にまじる偽山河 澁谷 道 評者: 宇多喜代子 鶴が渡来する季節にきちんと鶴が来る。これがまことの「山河」というものだと思うのです。ところが、いつしかまやかしの山河があちこちに出来はじめ、真贋の見分けのつかなくなった目を持つ人たちが「偽山河」に嬉々として群がるように […]
2001年11月1日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム ああと言ふもあつと思ふも秋の風 小檜山繁子 評者: 宇多喜代子 一日に幾度「ああ」と感嘆悲嘆の声を発し、「あっ」という思いに苛まれることでしょう。あまたの言葉を凌駕して機能する言葉とは、この「ああ」と「あっ」ではないかと思うのです。四季を通して発する言葉であり思念であるのですが、秋 […]
2001年10月1日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 荒涼と生まれたる日の金盥 津沢マサ子 評者: 宇多喜代子 かつて自分が生まれた日に使われた金盥が、年月を経たいまつかわれることもなく放置されている風景が見えてきます。「生まれたる日が荒涼」としていたとも読めますが、私には「生まれたる日の金盥が荒涼」と在る光景と見えます。無季で […]
2001年9月10日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 月の出や死んだ者らと汽車を待つ 鈴木六林男 評者: 村井和一 昭和三十年代の作品。作者も体験した戦争で死んだ人たちへの思いでしょう。「死」が複数のかたちで詠まれるようになったのは、第二次世界大戦後の特色です。戦前は、追悼句か、死を美化するかのケースが多かったのですが、多数の人が死 […]
2001年7月30日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 玉音を理解せし者前に出よ 渡辺白泉 評者: 村井和一 玉音、敗戦を告げる昭和天皇の放送でした。56年前の1945年8月、多くの俳人が敗戦を詠みました。その敗戦を遡ること51年、1894年に日清戦争が起こっています。以後、日露戦争・第一次世界大戦・満州事変・日中戦争・日米戦 […]
2001年6月28日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 白露や無分別なる置所 宗 因 評者: 村井和一 今月は古典作品。 東京向島の三囲神社に句碑があります。露がところかまわず下りているというのです。しかし「無分別智」は、仏教の根本的な智慧です。そこに焦点をおくと、露がそれぞれ所を得て下りているという意味になりそうです […]
2001年5月31日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 木にのぼりあざやかあざやかアフリカなど 阿部完市 評者: 村井和一 無季の作品です。雲の上まで伸びる豆の木に登ったジャックには、遥かアフリカも望見できたでしょう。これは、宇宙時代の眺望です。「あざやかあざやか」が快いリズムを作っています。一方、「万葉集」開巻第2首目の「登り立ち国見をす […]
2001年5月7日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 春はあけぼのみなさんの忘れもの 松澤 昭 評者: 村井和一 『枕草子』を踏んでいます。作者は「春は曙・・・のような音感のすばらしさは、ぜひ忘れないでほしい」といいます。音感だけではありません。先行文芸に唱和するという方法も近代の俳句が忘れてきた方法の一つです。こんな読み方もあり […]
2001年2月26日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 猪がきて空気を食べる春の峠 金子兜太 評者: 村井和一 空気を食べる猪。山の彼方の青空まで食べそうです。猪は満足そうです。 猪のねに行くかたや明の月 去来 に対して芭蕉は、人里へ下りた猪が明け方に山へ帰るのは古人も知っていたことだ。優美を旨とする和歌でさえそれを〈帰る […]