鯉裂いて取りだす遠い茜雲 中島斌雄 評者: 対馬康子

 中島斌雄は戦後間もない昭和二一年「麦」を創刊。社会性俳句や時代思潮へ積極的に論作を展開し、若い世代を牽引した。同時に現代俳句協会創立に参画し、後に現代俳句協会副会長に就いた。「雲秋意琴を売らんと横抱きに」「雪沁むや戦火にもろき墓ばかり」など知的なリリシズムの作品は時代に刻まれている。
 掲句は昭和五三年、七十歳のときの作品。斌雄にとって昭和三十年に第三句集『火口壁』刊行のあと、第四句集『わが噴煙』まで、日常の繁忙も併せて、十八年という長い葛藤の月日が流れた。現代俳句とは何かを真摯に問い、俳諧の「新しみ」を確かに見出すために、真の俳人としての自問の時間が必要だったのである。
 復活の契機となったのは、還暦を機に開いた北軽井沢の月士山房であり、昭和四五年より「麦」に連載を開始した「現代俳句提要」(昭和五六年『現代俳句の創造』として刊行)であった。この句はその「胸中山水」の章に例句として挙げられている。
 夏の夕暮れ、まな板の上に横たわる鯉。鑑賞用にゆったりと泳ぐ自由な錦鯉ではない。今まさに食されようとしている鯉である。その泥臭く野太い質感の腹の辺りに一直線に包丁を入れ、生々しい臓を掴み出す。暑い日差しを残しながら暮れゆく時間の中、するとその鮮やかな朱のかたまりは、指先より離れ、過ぎ去った日に見た遠い茜雲へと拡大されるのである。
 詩人の胸中は無限の山水を形成し、作者の生き方としての生と死の原風景を求めてやまない。眼の前のものから見えない深層へと、ここに取り出された茜雲は、ヒューマニズを踏まえてなおも、人間が人間であるがゆえの「永遠の孤」をきびしく感じさせる。
新具象主義俳句を提唱した斌雄の詩精神を受け継ぎ、「麦」は平成二八年秋、創刊七十周年を迎える。

出典:『肉声』

評者: 対馬康子
平成28年4月1日