流木の焚火のなかに国生まる 大畑 等 評者: 秋尾 敏

 この国の祖先は、おそらくは皆、どこからか流れ着いたのである。土着の〈国つ神〉でさえ、流浪の過去を持っていたに違いない。むろん、その「国」と呼びうる共同体が形成される以前の話である。
 浜に流れ着いた人々は身を寄せ合い、先にその地に着いた人々と間合いを計りながら小屋を建て、食を漁りはじめる。夜になれば火を焚き、明日の糧について語りあった。
 ある日そこに、先住の人々が訪ねてくる。警戒心に満ちた目を笑顔で隠しながら、彼らは身振り手振りで、どうやって火を起こしたのかと尋ねたのであった。
 流れ着いた人々は、先住の人々を受け入れ、火を起こす技術を見せ、どこで魚が捕れるかを尋ねた。そのとき、流木を燃やす火のなかに、国家と呼びうるものの核が形成された。
 この句の作者、大畑等は和歌山県新宮市の生まれ。熊野の風土性を一身に封じ込め、東京で建築学を学び、千葉県現代俳句協会会長を務めた。現代俳句協会の幹事も務め、IT部長としてこのホームページを充実させたのも大畑であった。
 大畑等は、手垢の付いた日常の言語表現が、何を伝える力も無いことを知り抜いた男であった。空虚な都会の言葉に終生抗ったと言ってもよい。彼は、風土からわき上がる血の温みを持った言葉だけを信じ、俳壇から、命を伝える力を持たない類型化された表現を駆逐するべく戦い続け、平成二十八年一月、心不全によって六十代半ばでこの世を去った。記憶されるべき男と思う。

出典・大畑等遺句集『普陀洛記』(二〇一七年刊)より
     ※付記 大畑等遺句集『普陀洛記』の跋文を宇多喜代子氏が書かれている。
     一読をお勧めする。

評者: 秋尾 敏
平成29年6月1日