人が通る野分がとおる山頭火 松本勇二 評者: 森須 蘭

 最近では、気候変動著しく、今年の台風第1号は、5月の初旬に、もう発生したという。日本には影響しなかったが「野分」の季語も秋ではなくなりつつあることを実感する昨今。
 さて、ここに詠まれている種田山頭火は、10代の頃から俳句の才能に秀でていたが、その人生は苦難続きの生涯だった。山頭火が10歳の時に母が自殺、父は、事業に失敗して家が没落。本人も、早稲田大学に学ぶも、途中で神経症の為、中退して帰郷を余儀なくされ、やがて父親が家出するとともに一家は離散。弟は借金苦に自殺。山頭火自身も家庭を持つが、妻から離婚されている。42歳の時、市電に立ちはだかって自殺を試みるが失敗。それを機に禅寺に入り出家する。後に鉄鉢を持ち行乞の僧として俳句を詠みつつ旅を重ねる。まさに「人が通る野分がとおる」人生だった。「まっすぐな道でさみしい  山頭火」とは、山頭火の俳句と人生への想いの句であろうが、松本勇二の句集『直瀬』には「簡単に曲がれぬらしき鬼やんま  勇二」と、鬼やんまに自分を重ね合わせたような句がある。これも俳句への想いであろう。どうやら俳句の道は「まっすぐ」で「曲がれない」ものらしい。
 山頭火は酒豪であり、時に無銭飲食のうえ泥酔して警察署に拘留されるなど、無茶苦茶であった。が、どんなに破天荒な生き方をしていても、10代中頃から培った俳句への情熱は、常に「まっすぐな道」として山頭火を導いてゆく。「簡単に曲がれぬ」のが、俳句にのめり込んだ者の宿命なら、われわれ俳人たちも、その道を素直に受け入れるしかないのかも知れない。山頭火のように破天荒になれないのが凡人の俳人だとすれば、私は仕方なく凡人の俳人を甘んじて続けるしかないのだろう。
 松本勇二は松山市在住の俳人の雄である。山頭火の終焉の地が、その松山でむすんだ「一草庵」であったことも、「俳縁」といえばそんな感覚なのかも知れない。波乱万丈な人生だった山頭火だが、「ともかくも生かされてはいる雑草の中   山頭火」と詠っている。意外と様々な人が山頭火に手を伸ばしてくれ、生かされていたのだ。
 ただ、「野分がとおる」というように、心は嵐の通り道だった。この掲句は山頭火の人生そのものを詠んで秀逸な一句。

出典:句集『直瀬』

評者: 森須 蘭
平成29年5月19日