馬腹蹴る眼球は野に満ちあふれ 山田緑光 評者: 辻脇系一

 戦後俳句シリーズ24山田緑光句集の中で「緑光俳句には肌で感じ肉体で捕らえてその襞の部分を思い切り抉りとって見せる、と言った強烈な生々しい現実感が漂うものが多い」と、解説で田沼俊氏が指摘している事だが、自分には、昭和29年に出合って以来ずうっと無言の内に「俳句は自分でかんがえよ」と言われ続けて来たように思う。
 同句集は初期から46年までの変遷が概観できる句集だが、初期の比較的に叙情性の高いものから読み返しながら、自分は何時もこの句で立ち止まる。
 馬も、乗る人も「眼」の確かさが無くては御しきれるものではないが、この句には人馬の眼のみならず、馬上の高さと速さに突変する景色、馬体を膝内で締め、感受する筋肉躍動を通し体感しつつ、野の草や木や生きもの全てに見られ見るような同時存在の関係を、「眼」の煌きとして感じたのではないかと想像している。
 それは平野の四季のきらめきを一瞬の感受の内に「眼」の煌きへと収斂する。
  海を塗りつぶす眠り馬体温もれば   緑光
  島の砲短しこうこうと這うなめくじ
  闇に見える心臓乗馬が立ちどまる
 当たり前のことだが、自分の意志と言葉で形づくろうとする、たえず全的に戦いの思いを持ち続けているのである。句集『千の石』は緑光最後の句集であったが、その序句に金子兜太先生の句
  「北の夏空緑光笑うちょくにてしん
が置かれていた。
 

出典:『山田緑光句集 戦後俳句作家シリーズ24』

評者: 辻脇系一
平成25年3月21日