秋思より臼杵移りつつありぬ 荒地繪理 評者: 辻脇系一

 この句集のペンネーム荒地繪理は、赤尾兜子主宰の「渦」へ投句をしていた時の新妻博氏のものである(これを書くにあたり敢えて本名を遣わせて戴くこととした)。
 随筆や詩集、句集など著作も多いが氏を思うとき不思議とこの句が思われる。
 いつか、この句を引き合いに、穀物の何れかを人々が手にするようになった時には、既に臼や杵に近いものは有ったことだろうと話したことがあって、テレビで猿がものを洗って食べたり、石でものの殻を割る様な、あるいは鴉が胡桃の殻を道路に落す場面に話が及んで、米だけではなく、五穀と言い七種(穀)といい作物の栽培は今の栽培と言う概念とは違うかもしれないが、自分たちが習った時代よりも随分古く石器縄文或いはもっと早くからあったのではないかなどと酒の上での勝手で、忘れ難い作者との愉快な一刻ではあった。
 その切っ掛けは、離農の屋敷跡の叢に李やグズベリー等の生り物の木があったり、花があるから事からであった、うろ覚えだが先日の新聞では石斧の最も原初的なものは百万年を遥かにする地層から見つかっているとか。
 収穫後の虚脱感とも違い、三月尽とは一味違う九月尽と云う黄落を伴う季節の大きな流れを前にして、底に在るものに繋がる遥けさであり、もう二度と語り合う事の出来ない人との淋しさあある。生前このペンネームの本意は荒地のエリオットのつもりと言って笑っておられたのも思い出である。
 
  清盛に問へや野蒜の水びたし    新妻 博
 
出典:荒地繪理句集『俳・繪理のコンポジション』
評者: 辻脇系一
平成25年4月1日