「あれが海です」聖夜砂嵐砂嵐 金子皆子 評者: 山中葛子

 金子皆子の第4句集『花恋』の「花幻」の章に収められている句である。熊谷在住の金子兜太夫人の皆子は、平成9年に右腎悪性腫瘍のため、右腎臓全摘の手術を受けられ、その後の平成12年、尊敬する主治医が千葉県旭市の旭中央病院に移られたことを機に、月の半ばは旭市のホテルサンモールに滞在し、6年に及ぶ診察治療を受けられている。この間には、左腎の部分摘出手術、肺への転移が見られるなど、二度の手術による傷痕は、お天気によって傷むという〈薔薇の体に霧笛沁みこむ海の街〉の句があり、ご自分を「薔薇の体です」と明言されていられた。
 この句は、そうした療養中での闘病の苦しい時間がふっ切れたような神秘的な一条の光がさして、肉体が叫びをあげたようなまるごとの俳句詩型になっている。「あれが海です」の「です」は、対話の相手が目前にいる発語であり、ふたりごころの会話体もかがやいている。
  抱えられ倒れず二〇〇〇年の聖夜
  ミッドナイトブルー極まりし海を背後に
  腕時計刻(とき)を合わせる聖夜かな
 「花幻」の章にみられる2000年の聖夜は「砂嵐砂嵐」の畳みこむリズムの中で存分に命を発光させて美しい。「ミッドナイトブルー」の海を背景に「腕時計」の刻を合わせている特別な夜。予感のポエジーとも言えるような、手垢のつかない原始的な息づかいが描き出されていよう。子を産み継いでゆくことの、女性でなければ書けない肉体感がパッションゆたかに台頭している。
 「あれが海です」の作品は、神奈川現代俳句協会のシンポジウム「これからの俳句について」の「めざす俳句の姿」として私が発表させていただいた懐かしい句。その時から10年が過ぎているが、現在ただ今にあっても「めざす俳句の姿」に違いない。
 
出典:句集『花恋』平成16年12月18日角川書店刊
評者: 山中葛子
平成25年4月11日