2002年4月1日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム めんめんと恋の鳥鳴く忿怒仏 丸山海道 評者: 倉橋羊村 美貌の十一面観音で名高い湖北の渡岸寺。正面のお顔の美しさとはうらはらに、後頭部にはぎょっとするほどものすごい暴悪大笑面が彫られていて、一度見たら忘れられません。忿怒像は明王に多く、四天王寺別院の愛染明王も、愛染の名にひ […]
2002年2月28日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 紅梅や和紙の手ざわり母に似て 後藤綾子 評者: 宇多喜代子 「母に似て」は、そこここに見られる常套的な表現です。ところが「和紙の手ざわり」という感触から入る母への思いには、他にないものがあります。それも「紅梅」を配したことでイメージを決定した感があります。うわついたところのない […]
2002年2月4日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 流氷を見にゆく男をまじえずに 寺田京子 評者: 宇多喜代子 芝居見物に行く、お喋りの目的の食事会に行く、そんなところへ行くのであれば「男をまじえずに」のほうが楽しいにきまっています。ところが流氷という壮大な自然現象を見物に行くのに「男をまじえずに」というのですから、やはりこれは […]
2002年1月7日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 初夢のなかをどんなに走ったやら 飯島晴子 評者: 宇多喜代子 ゆっくりと歩く夢というのはめったにないのではないでしょうか。追われたり追ったりしてもはやこれまでというところで目が覚めるというのが、多くのひとの夢体験のようです。初夢だけはそんな思いをしたくないと思っていても、やっぱり […]
2001年12月3日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 鶴が来る山河にまじる偽山河 澁谷 道 評者: 宇多喜代子 鶴が渡来する季節にきちんと鶴が来る。これがまことの「山河」というものだと思うのです。ところが、いつしかまやかしの山河があちこちに出来はじめ、真贋の見分けのつかなくなった目を持つ人たちが「偽山河」に嬉々として群がるように […]
2001年11月1日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム ああと言ふもあつと思ふも秋の風 小檜山繁子 評者: 宇多喜代子 一日に幾度「ああ」と感嘆悲嘆の声を発し、「あっ」という思いに苛まれることでしょう。あまたの言葉を凌駕して機能する言葉とは、この「ああ」と「あっ」ではないかと思うのです。四季を通して発する言葉であり思念であるのですが、秋 […]
2001年10月1日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 荒涼と生まれたる日の金盥 津沢マサ子 評者: 宇多喜代子 かつて自分が生まれた日に使われた金盥が、年月を経たいまつかわれることもなく放置されている風景が見えてきます。「生まれたる日が荒涼」としていたとも読めますが、私には「生まれたる日の金盥が荒涼」と在る光景と見えます。無季で […]
2001年9月10日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 月の出や死んだ者らと汽車を待つ 鈴木六林男 評者: 村井和一 昭和三十年代の作品。作者も体験した戦争で死んだ人たちへの思いでしょう。「死」が複数のかたちで詠まれるようになったのは、第二次世界大戦後の特色です。戦前は、追悼句か、死を美化するかのケースが多かったのですが、多数の人が死 […]
2001年7月30日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 玉音を理解せし者前に出よ 渡辺白泉 評者: 村井和一 玉音、敗戦を告げる昭和天皇の放送でした。56年前の1945年8月、多くの俳人が敗戦を詠みました。その敗戦を遡ること51年、1894年に日清戦争が起こっています。以後、日露戦争・第一次世界大戦・満州事変・日中戦争・日米戦 […]
2001年6月28日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 白露や無分別なる置所 宗 因 評者: 村井和一 今月は古典作品。 東京向島の三囲神社に句碑があります。露がところかまわず下りているというのです。しかし「無分別智」は、仏教の根本的な智慧です。そこに焦点をおくと、露がそれぞれ所を得て下りているという意味になりそうです […]