2006年6月1日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 悪友や遠くで鳴らすラムネの玉 見學 玄 評者: 田中不鳴 友にも色々あるが親友と悪友が一番身近ではあるまいか。なかでも悪友は最も心にかかる存在だ。辞書では、親友‥仲がいい友人、うちとけてつき合っている友だち。悪友‥交際して身のためにならない友人、悪い友だち‥‥となっている。悪 […]
2006年4月27日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 分け入っても分け入っても青い山 種田山頭火 評者: 田中不鳴 自由律の句。没後の昭和46年に山頭火著作集が編まれ、俳人に加え一般の人の間にも、一寸した山頭火ブームが巻き起こった。その中の注目句。滴るような夏の山、緑を分けて行く実感。自然謳歌が共鳴されたのかも知れない。でもこの句怖さ […]
2006年4月3日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 蝶湧いて磐城平の馬鹿天気 田中不鳴 評者: 田中不鳴 厚かましくも自句である。説明を要さない程平明。昭和55年作で、誰も疑問を呈さなかったが、作者の私だけが磐城平の呼称に疑問を持っている。磐城は福島県のいわき市から白河あたりを指す。平は山間の平地だから、地図にある磐城平は […]
2006年3月6日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 夏痩始まる夜は「お母さん」売切です 加藤知世子 評者: 鈴木石夫 作者は加藤楸邨夫人。明治42年生れ。夫の楸邨は大柄であったが、この人は女性としてもやや小型であった。その小柄が、人並以上に家事を処理し、子育てをこなし、なおかつ数々の文学的業績を残している。世のすべての母親がそうである […]
2006年2月9日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 薄氷の裏を舐めては金魚沈む 西東三鬼 評者: 鈴木石夫 金魚鉢の水面がうっすらと凍っている。その薄氷に閉じこめられたように金魚が居り、その薄氷の下を彼はゆっくり浮き沈みしている。「薄氷の裏を舐める」という意表をついた、そしてユーモラスなフレーズがいかにも三鬼らしくておもしろ […]
2006年1月30日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム みちのくは底知れぬ国大熊(おやじ)生く 佐藤鬼房 評者: 鈴木石夫 作者は大正八年、岩手県釜石の生れ、生粋の東北人である。東北の風土に根ざしたヒューマンな血の温もりを感じさせる作風。陸奥(みちのく)は昔から底知れぬ国であった。その奥州や蝦夷地の山中には、現代も羆(ひぐま)が棲息している […]
2005年12月8日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 三月の甘納豆のうふふふふ 坪内稔典 評者: 鈴木石夫 作者は京都の大学の先生なのだが、こういう、いわば遊びの句を好んで書いている。掲句は、そうした作者の代表作の一つといってもいいだろう。実はこの手の甘納豆俳句は三月だけではなく、一月から十二月まで、一種の連作として作られて […]
2005年10月31日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く 日野草城 評者: 鈴木石夫 切ない一句である。草城最晩年の作。彼は晩年、緑内障のため隻眼を失明している。しかし使用する眼鏡のレンズは左右両方ついている。で、眼鏡を拭う場合、ほんとうは見える方のレンズだけで間に合う理屈だが、やはり両方拭かずにはいら […]
2005年10月3日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 短夜や乳ぜり啼く児を須可捨焉乎(すてつちまをか) 竹下しづの 評者: 鈴木石夫 この句に初めて接したのはいつだったか。記憶はさだかでないが、たしか50年ほど前のことだった。 上五・中七までの発想描写は、ほぼ一般的な従来のものと大差はないが、度肝を抜かれたのは「スベカラクスツベキカ」という漢字によ […]
2005年8月29日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 人の死は灯をこうこうと朧なり 和知喜八 評者: 山崎 聰 知人の訃報に接し、通夜に駆け付けたのであろう。「こうこう」は「皓皓」か或いは「煌煌」か。いずれにせよ、明るく灯が点っている形容であろう。通夜のときの照明は何故か常より随分明るい。 「人の死は」と、真正面から詠い出してい […]