あおあおと銀河にもある津波痕 高岡 修 評者: 福本弘明

 3・11の記憶は時間とともに薄れてゆくのであろう。いずれ体験者もいなくなり、後世には大災害の一つとして記録に残るだけである。東日本大震災は千年に一度の大震災と言われる。9世紀にも、東北地方を襲った貞観地震と呼ばれる大地震と津波が記録に残されているが、先の震災がなければ我々は知る由もなかった。
 3・11を知る人間として、不運にも被災され命を落された多くの方を悼み、残された家族の気持ちを慮るのは、人として当然の情であるが、震災からもうすぐ丸5年となる今、被災者への思いは如何なものであろうか。
 作者は、悠久の銀河にも、津波の傷痕があると書く。しかも、あおあおと。銀河は、天上であり、亡くなった人たちがいる場所でもある。日本の南の果てに住み、被災者でもない作者が、「句を作ろうとすると、なぜか、3・11の東北の光景ばかりが浮かんでくる」と、句集のあとがきに述懐しているが、思いは深い。切ないのは、地上だけではないのである。その思いが、銀河に及んでいることに注目する。
 作者は、第27回現代俳句評論賞を受賞した論客である。切れや配合を重視した力強い作品が多い中で、掲句のような一見平板とも感じられる句は少ない。しかしながら、生死に思いを致すとき、作者の真骨頂が表れると感じる。作者は土井晩翠賞を受賞した詩人でもあり、多くの詩集を世に出しているが、詩集『火口の鳥』に収められている「鰯雲」という短い詩にも、同じように心が揺さぶられた。

天上の海に来て/うれしそうに/胸びれを振っているのは/殺された/鰯たちです/まだ知りませんが/空が染まるあたりで/彼らはふたたび/空の投網に/かかります

出典:高岡修句集『水の蝶』(2015年 ジャプラン)

評者: 福本弘明
平成28年2月1日