葉櫻や箸をつかふは業に似て 秦夕美 評者: 福本弘明
俳句を詠む楽しみは、苦しみでもあるのだが、読むことに関しては、まず楽しいと言ってもよい。どのように読もうと、読み手の自由だからである。それは、多くを語れない俳句の特性でもあり、面白みでもある。
掲句を読んで想像したのは、現代の日本である。「葉櫻」は、先の大戦において、桜の花びらが散るように、悲しくもみごとに散っていった多くの先人たちの死を忘れ、陽光を浴び、きらきらと輝いているように思える。経済大国となった日本を象徴するかのようだ。明治以降、日本は西欧に学び、必要と思われるところを取り入れてきたが、敗戦後は、何もかもがと言ってよいほど、一気に西欧化された。グローバル社会といえども、あまりに節操がないように思える。知識偏重の教育や地域コミュニティーの崩壊は、日本人らしさの根幹を揺るがせたのではないだろうか。もちろん、生活様式も変わった。すでに戦後70年、「古き良き日本」の価値を説いても、意味はないのか。そんなことは無いと思うが、たかが70年、されど70年である。「箸」を使うことが、業と思えるほど、日本は変わったのである。すでに、経済には国境がない。シリアの難民報道を見れば、国籍すら危うい人が溢れている。刻々と、世界も日本も変わってゆくのであろうが、日本人の業が、消えることはないと信じる。
作者は個人誌『GA』の発行人であり、短歌も読む。エッセーの名手でもある。掲句は、作者の第16句集から引いた。
出典:句集『五情』(2015年 ふらんす堂)
評者: 福本弘明
平成28年2月21日