わが孤絶の 無燈の軍艦(ふね)は脱出せり 富澤赤黄男 評者: 木村聡雄

『黙示』(昭和三六年)の一句。この第三句集を纏めた翌年、六〇歳で他界した。本句集には
満月光 液体は呼吸する
草二本だけ生えてゐる 時閒
など、俳句における抽象性を表現した優れた作品が多く収められているが、掲出の作品はキアロスクーロの明暗のごとき絵画的具象性を持つ一句である。
 まず「わが孤絶の」と言い放ち、直後に一字あけを置くことで、その空白の持つ時間性の中で「孤絶さ」が再定義される。孤絶であるのは文字通りには軍艦だが、また作者自身の姿でもある。「季題」もなく、伝統的な意味の「切れ」もない、現代俳句におけるまったく新しいポエジーの在り方を追求した態度は、当時(そしておそらくは今も)大多数に理解されることは難しいながら、現在も有効であり続けている。
 続く「無燈の」との表現もまた、「軍艦」の状況のみならず彼自身の俳句的態度を象徴しているだろう。それはポエジー志向を広く宣伝することよりも、自ら律して句業に専念する姿である。煌々と明かりを掲げて我ここにありと示すよりも、まず自分自身の目指す方向を凝視する態度が見られる。句集名の『黙示』もまた同様の姿勢を示唆しているだろう。
 下五の「脱出せり」の表現にはどこか諧謔性さえ感じられる。軍艦が敵前からかろうじて逃げ去ったと言うのだろうか。赤黄男の方向性から解釈を加えれば、軍艦が戦う相手は俳句における守旧的価値観でもある。「逃げるが勝ち」とも言われるが、第一句集『天の狼』の代表句「蝶堕ちて大音響の結氷期」にすでに見られるように、ここでも伝統的写生俳句の方法からの脱却(あるいは名誉の撤退)が重なる。ところで、この句の軍艦のイメージは彼が属していた日野草城の「旗艦」を想起させる。そしてこの軍艦の「脱出」後はと言えば、高柳重信の句集『日本海軍』の戦艦たちを堂々と率いている姿が浮かんでくるのである。

出典:『黙示』

評者: 木村聡雄
平成28年6月1日