土を出て直ぐ松風へ蟻のぼる 秋元不死男 評者: 木村聡雄

 句集『瘤』(昭和二十五年)より。休むことを知らない蟻の様子を写した句だが、ここに描かれた「蟻」は巣を出るや、食糧を探すためか反射的に高いところへのぼってゆく。まもなく天辺に達するころには、餌探しはもう旅の目的ではなくなって、ただ無心に松風に吹かれるというそのことのためだけに高みを目指しているようにさえ感じられる。中七に置かれた「直ぐ松風へ」の表現がそうした読みを許すのである。「松風」という懐かしさのこもる言葉を用いながらもありきたりの古めかしさに終始することなく、これほどさわやかに描き切った一句、松風の語に新たな命を吹き込んだと言えよう。「のぼる」という天への指向もこの清涼感を後押ししているように思われる。
 ところで、この句集から二十余年後、不死男は、

  ねたきりのわがつかみたし銀河の尾  不死男
                 『甘露集』(昭和五十二年)              

との絶句とされる句を残す。このとき、体も思うにまかせない病床の不死男にはもはやかつての蟻の活発さはないが、彼の心にあっては、天を目指そうとする指向がなお宿っているようである。この絶句においてその心は、さわやかな松風の吹き抜ける地上の高みを遥かに超え、銀河のはずれまでも向かおうとしている。銀河の尻尾を掴んで天上を駆ける彼の俳句精神を想像してみたい。

出典:『瘤』

評者: 木村聡雄
平成28年6月16日