黄金週間畢(おは)る高嶺に一墜死 馬場駿吉 評者: 木村聡雄
今や、夏休み/年末年始と並ぶ我が国の一大イベントであるゴールデンウィーク(GW)は、他の二つの歴史的バカンスにはない爽やかな気候も加わって、我々にGWには「何を為すべきか」(否、無を為すべき…等々)という大いなる悩みをもたらしている。駿吉の句集『夢中夢』のこの句は、GWの終わりに山の頂で小型飛行機などが墜落して犠牲者が出たと告げる。いわば祝祭の高揚感が、その終焉とともに一気に急降下し燃え尽きるという対照、あるいは無常さを描いた作品と読むことができるだろう。
美術評論家でもある駿吉の作品であると考えれば、この事件は芸術家の光と影について言及した作品とも読めるのではなかろうか。
GWそのものは兎にも角にも足早に過ぎ去ってしまうが、人生の苦悩や輝きもどこか似ているかもしれない。たとえばこの句の作者に纏わる詩歌あるいは美術を志す場合を想像してみよう。芸術家たちはみずから道なき道を切り開き迷いながら芸術の高嶺を目指すのだが、生涯で満足のゆく作品を紡ぎ出すという頂上の夢は、困難を伴うばかりで成就しがたい類いのものであろう。その高嶺に何とか辿り着くものもあるだろうが、ここで「墜死」と表わされているように、バカンスの喜びよりも至上の美を追いかけその追求の果てに(あるいは多くは道半ばにして)、美の高みに散っていった芸術家/詩人たちを思うのである。
同句集の中の、
サドを隠れ讀みし罌粟畑いまは墓地 駿吉
もまた、高揚からの墜落という、もうひとつの甘美の果ての無常の景である。
評者: 木村聡雄
平成28年7月1日