合歓の花君と別れてうろつくよ 金子兜太 評者: 池田澄子

 兜太の一句を選ぶのは難しい。所謂、代表句と言いたい作が余りにも多いからだ。そのことをもって金子兜太なのだと思う。
 俳句の主題も、言葉の種類も、言葉の使い方、表現法も様々で、夫々の魅力を発散している。そのことが、時代と正面から向き合って生き、向き合って俳句を詠み続けた金子兜太という俳人の特長なのだと思う。
 「水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る」の第二、第三の人生の始まり、「霧の村石を投うらば父母散らん」の産土への思い。「熊飢えたり柿がつがつと食うて撃たれ」の現代の地球との対峙。その中での極めて個人的日常の思い、極めて正直な大の男の情が、掲句にある。
 少し前までの主題にはなかった、それまではあまり見せなかった、普通の一人の男の極めて個人的な思いの吐露。恥ずかしげもなく呟かれた個人的妻恋の呟きが、そのことをもって個人を離れる。俳人としての、若くはない大の男の、普遍的な姿を見せる。
 平凡とも言えるそのことによって、個人の思いは個を離れる。呟きが作品になる。妻に先立たれて「うろつく」男は世に多いだろうけれど、「君と別れてうろつくよ」と呟いた男は多くはない。例え「うろつく」日々であっても、そのことを言葉に移すことを思いつかない。それほどには意識しないのが普通の男。
 「合歓の花」という言葉を付け加えることで、個人の妻恋いの情が、作品としてこの世に定着し、残った。

※『現代俳句』2018年7月号金子兜太追悼特集「忘れ得ぬ一句鑑賞」より

評者: 池田澄子
平成30年10月25日