寒晴やあはれ舞妓の背の高き 飯島晴子 評者: 長峰竹芳

 現代俳句大会が京都で開催されたとき、前日に宮川町と祇園界隈の花街を歩いた。京都の花見小路あたりを歩くと、必ずこの句を思い出すのは、絵葉書のような祇園と舞妓の姿がすぐ脳裏に浮かぶせいである。
この句で私が初めに気になったのは、舞妓が仕事着で座敷に出るのはおおむね日が暮れてからで、空が晴れ渡った昼間の印象が薄いことであったが、発想の原点は、大阪で開かれたある出版祝賀会で見た背の高い舞妓であり、それに「あはれ」を思いつき、「寒晴」という透明な気分を持ち込んで合成したものとわかった。俳句の言葉の取り合わせに、とことんこだわった作品である。
 現実の情景描写でなく、意味を拒否し、組み立てた言葉の響きによってリアリティを成立させていく、いささか強引とも思える晴子俳句の一つの典型で、張りのある、明るい気分が見事に演出されている。平成元年作。
 
評者: 長峰竹芳
平成20年1月7日