苗売のとなり子どものひよこ売 星野麥丘人 評者: 宮坂静生

 平成一五年(2003)の作。街中に露天商の苗売がいる。その横にみかん箱にでも入れてひよこを子供が売っている。折から親が用事で立っていった僅かの時間に子供が変わって番をしているのか。ぴいぴい鳴いているひよこを前に、小学校一年生くらいの、ひよっこに近い子がいる。一見して、あわれ。ジーンとくるものがある。
 思えばこれは戦後の風景である。養鶏場で孵化して間もないひよこを鑑別し、雌はきちんとした箱へ、雄はまとめて始末されるために大きな処理箱に放り込まれる。その雄はほとんど只同然で貰えるのである。二三羽入る紙の菓子箱に入れて貰ってくる。ひよこ飼育用の網を張った巣箱を作り、いまだ寒い時期、炬燵に入れて暖を取った。その頃は、ぼや炭という柔らかい炭が炬燵には使われていたので、僅かの不注意でひよこが一酸化炭素中毒に罹り、みんな黄色い足を伸ばして死んでしまったことをたびたび経験した。懲りずにまた貰ってくる。
 雌は卵を産む鶏だ。大事にされる。露天で売られていたのはほとんど、雄ではなかったか。子供のおもちゃ用である。しかし、大きくなると、世話に困る。餌代がかかる。そこで動物園に引き取ってもらったり、雌を飼っている家に貰ってもらった。
 星野麥丘人は句に地面すれすれのところを詠む。そこに私は好感を抱く。
  花舗などといはず花屋のライラック
  うまごやし兎の卯佐子放ちやる
  大根の花見て嫁に行きにけり
  藻の花にざわわざわわと雨来るよ
  たそがれや草石蚕(ちょろぎ)の花に雨かかり
 掲句のひよこ売はどんな暮らしをしているのか、ひよこを一羽百円で売っても、一〇羽で千円。元はかからないとはいえ、儲かるものではない。私は戦後の少年期、貧しかっただけにひよこ売の子供の境遇に共感する。俳句の詩情はダイナミックなことを詠っても根底にはひよこ売の子供が抱く哀歓に通じるものがなければならない。

出典:『小椿居』(角川書店・2009年1月)
評者: 宮坂静生
平成22年6月21日