寒中の鰡に呼ばれる何の酔 佐藤鬼房 評者: 森田緑郎

 今回は一句の混沌を生み出す謎を秘めた作品に触れてみたい。
 一読この句には分りにくさが今も残っていて深読みを誘って来る。
 例えば「鰡に呼ばれる」といった意外性や「何の酔」と応じた呟きにはどこか漠然とした書きとめ方になっていて、鰡との関係がいま一つ見えにくいからだ。
 もともと鬼房氏は現実を踏まえたリアリズムの濃い作風を求めた時期もあり、骨太で意志的な表現に定評があった。それだけに写実次元と異なる発想の転換には新鮮な驚きを覚えた。こんな句もある。
 <野ぶだうに声あり暗きより帰る>
などいずれも超自然的な時空の捉え方に特徴がある。いわゆるアニミズムの世界か。
 「寒中の鰡」の句もその世界と向き合いながら一方で東北風土の厳しさや戦傷の深さを抱える生活者としてそこに自己のあり方を見詰めようとしている。
 晩年のものだが<残る虫暗闇を食ひちぎる>がある。孤独を尽し生きた作者の思いが伝わって来る。冒頭の「寒中」の句もまたこの心境に到るものの一つか。冴え渡る夜更けの海辺、無人の渚をあてもなく歩いている男の姿が浮かぶ。そして底冷えの波風に孤独を噛みしめた時、無辺の闇の彼方からわれを呼ぶ声がした。たった一人の生存者のみに与えられた天恵の発信なのか。結びの「何の酔」といったかりそめならぬ発語はそのことを物語っていよう。
 ここでの酔は酒気を帯びた酩酊ではないだろう。孤独の限りの中で巡り合った異界の鰡、そこに見出した無上の陶酔感である。名状し難い高ぶりを思う。
 いずれにせよ「意外性」も「鰡に呼ばれる」不思議さも孤独の深さがもたらした幻想の働きであろう。 

出典:第六句集『朝の日』昭和55年刊
評者: 森田緑郎
平成23年2月11日