春風や闘志抱きて丘に佇つ 高浜虚子 評者: 山口木浦木

 大正二年の作と言われている。西暦で言えば一九一三年であり、今からちょうど百年前の作品となる。
 いい句には時代を超えた説得力があるのだろう。この句に接すると元気が出てくる。激励の要素が少なからずあるのだ。しかもユーモアの効いた激励と言えようか。
 「春風」だから面白いのである。これが北風などでは「ああそうですか。頑張ってくださいね」で終わってしまう。読者の共感を呼ばないはずだ。やわらかく穏やかな春風に誘われて「じゃあ自分のやりたいことをやってみようか」が自然の流れ。木枯しのなかではそんな意思表明はしない。
 佇つ場所も「丘」ぐらいがちょうどいい。山、峰などではこれまた引いてしまう。
 このようにこの句は「人間の弱さを踏まえた激励」と私は解釈したい。「何事も無理はよくないよ。等身大でやりなさい」と励ましてくれているようで嬉しい。
 この句に接するたびに思い出されるのはチャップリンの映画である。
 たとえば『キッド』は一九二一年の作品である。このなかで、浮浪者役のチャップリンが捨て子(キッド)を育てる話が描かれている。生きていくために二人は悪さをいろいろするが決して警官の前ではしない。つまり陰日向のある人物像が設定されているのだ。陰日向がないのは理想であるがそんなに強く生きられないのが人間とでもいうように。
 ちなみに、チャップリンがイギリスからアメリカへ移住して本格的に映画づくりを始めたのも百年前である。 
 虚子とチャップリンのユーモアに共通性があると感じるのは私だけだろうか。虚子はチャップリンよりも一五歳年上。

出典:『五百句』

評者: 山口木浦木
平成25年2月20日