天が下雨垂れ石の涼しけれ 村越化石 評者: 田中亜美

 「天が下」とは、国土、天下、全世界のこと。句の大意は、全世界を背景に、今ここで、雨のしずくの滴っている石の何と涼しいことだろう、となろうか。雨の降っている最中と読めないこともないが、個人的には、雨の上がった直後の句、きらきらとした雨のしずく、ひんやりとした石の手触り、みずみずしい匂いといった感覚の一切が込められている句と読みたい。涼しさは気温の問題だけではなく、すがすがしさ、清らかさといった精神的なベクトルも含むものだろう。気宇壮大な、澄んだ句だ。
 爽快さの理由は、「天が下」「雨垂れ」というA音の開放的な、伸びやかな頭韻にもあろう。「天」を意味する「あめ」と「雨」、「天(あめ)」の古い呼び名である「あま」と「雨(あま)垂れ」という類似の音を連想させる、聴覚の効果が、天下という壮大な世界と小さな石を結びつけ、融和させる。だからこそ、結句の「涼しけれ」がいっそう力強く響くのだ。
 作者の村越化石は、大正十一年生まれ。若き日にハンセン病に罹患し、闘病生活を続けながら、作句活動を続けている。かつて不治の病とされたハンセン病は戦後に特効薬プロミンが登場しているが、化石は次第に視力を奪われ、昭和四十五年に全盲となった。この句の収められた句集『端坐』は昭和五十七年、蛇笏賞を受賞している。
 この句について、師である大野林火は、「無欲の境地だ。化石自らが雨垂れ石となって涼しさを楽しんでいる」と絶賛したという。見事な評言だ。
 一般に、病気に罹患すること、視力を失うことは、「逆境」ととらえられやすい。しかし、村越化石の作品に触れると、私は、何ともいえないすこやかさに胸がいっぱいになってしまう。かつて眼にした風景(視覚)をはじめ、聴覚、触覚、味覚、嗅覚などあらゆる感覚のよろこびを、もっともよく体現しているのが化石の句と思われるからだ。「無欲の境地」とはこのようなことかもしれない。
 
出典:村越化石自選句集『籠枕』

評者: 田中亜美
平成25年8月11日