青大将この日男と女かな 鳴戸奈菜 評者: 松井国央

 子どもの頃の夢を見た。蛇は玄関先の草むらからわずかに首を出して動かない。私は大きな石を抱え上げ、蛇の頭上に落として息の根を止めようとしたが、蛇は死ぬどころか草むらを出て道路を横断している。しかも道路幅いっぱいの長さの大きなものだ。後を追うと近くの池を泳いで対岸へ向かって行ったのでひとまずほっとしたが、殺し損ねたことで、いつかまた目の前に現れるかも知れないと思うとぞっとした。
 夕方、庭の植木に幾重にも巻きついている蛇を見た。口のあたりが少し潰れている。昼間見たものに違いない。池を泳いで再び戻ってきたのだと思うと、蛇の執念のようなものを感じて背筋が凍る思いがした。慌てて父を呼ぶと、医療用のコッヘルを持ち出して首のあたりを固く挟みつけた。蛇は木が揺れんばかりに暴れ、そのうちにドサッと音を立てて地面に落ちた。しばらく大きな身をくねらせていたが死んだことを確認すると「庭のはずれに穴を掘って丁寧に土をかけておきなさい」と父に言われた。
 長い棒の、出来るだけ自分から遠い先端に蛇を掛けて運んだ。二メートルを超えると思われる蛇の重みが棒を通して伝わってくる。しかも胴体の中ほどで釣り上げられている蛇はまるで一本のロープがかかっているように真っ直ぐに垂れ下がり、歩くたびに揺れている。それだけでも怖かった。
 怖さのあまり必要以上に深く掘った穴に蛇を落し、山のように土を載せておいたが、これで一件落着といった気分にはなれなかった。いずれ再び息を吹き返し、怨念をもって穴を出てくるのではないだろうか、そんなことを思うと、先の見えない底なしの恐怖に襲われて夢から覚めた。
 蛇に対して抱いているこうした生命力やいわれのない恐怖感など、私たちが勝手に作り上げたものながら、それが心の闇を投影したり神格化されたりもしている。この背景を思うと男と女の答えのない営みは自然な流れだろう。
 
出典:句集『イブ』
評者: 松井国央
平成26年7月11日