馬がいく、馬についていく野へ野へと 田中波月 評者: 田中 陽

 一九六三年作。第二句集『野』の巻頭に著者はこの句と<稗 しごくとこぼれ太陽のふところに>の二句を墨書して「私は、昨年の地方選挙に出馬した。……が、結局落選」云々を記し、その短章の結びを「俳句は庶民の文学である。私はその根を探っていく。『野』は広大な大地に基盤する場である。人間普遍のいのちはここに内在する。」と書く。
 失意の中で、俳句という小文学の本質を“野”に象徴化して、その境地へ深入りしていく作者像が見える。
 この句集には波月の句友・門下十一人が跋文を寄せているが(僕もその一人)、中でプロレタリア俳人(句集『土着方式』一九九三年刊)すずきゆきひとは「百姓でない百姓、波月」と題し、「野」は野人の「野」であり、野生の「野」であり、田野・野良・平野の「野」であり、そこに土の生産につながる勁(つよ)い糸を見出す。百姓でない百姓詩人・田中波月の面目をそこにみる。――と書いている。「波月の面貌は野武士のそれだ」と言った某文芸評論家もあり、すべてが「野へ野へと」につながって来る。現今の日本の政情から見れば、その使命が強く嘱望される野党の「野」でもある。
 ところで、波月はなぜ「馬」に従(つ)いていくのか――。第一句集『相貌』(主流社・一九四七年刊)の年譜に、「大正八年(十六歳)小僧奉公を止めて馬追(馬方)となり、雪中未明起床、馬の背に跨る。玉橇で木材運搬の仕事に從ふ。夏季は三井農場の山中開拓場に馬と共に。」などと、北海道で働いた少年時代の記録があり、雪の崖を馬と共に転落、「愛馬」をいたわりつつ闘った実話を僕は直接聴いたこともある。
 短い十七音の詩の中に「馬と馬」、「野と野」、二組ものリフレーンを施した波月の郷愁は、彼の提唱した人間主義俳句の根源でもあろう。
 
出典:『野』(一九六四年・主流社)
評者: 田中 陽
平成26年12月21日