2005年7月28日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 枯芦へ落日の金放ちたる 桂 信子 評者: 山崎 聰 実景であって実景でない、とはこういう句を云うのであろう。 一面金色の世界、ほかには何もない。 枯芦の金、落日の金、こちら側の世界と向こう側の世界が相呼応して金一色の世界を形作る。 云い方としては、“枯芦へ…放ちたる”と […]
2005年6月30日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 銀座より帰りて寒し材木座 鈴木六林男 評者: 山崎 聰 銀座はもちろん東京の銀座、材木座は鎌倉の材木座であろう。上京し、銀座で知人と歓談して、寒夜を宿のある鎌倉に帰ったのだろうか。ただそれだけのことなのだが、銀座と材木座の見事な対応に息を呑む。日本の繁栄の象徴とも云える近代 […]
2005年6月1日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム くらがりに歳月を負ふ冬帽子 石原八束 評者: 山崎 聰 まずくらがりの中で冬帽子を目深かにかぶった男の姿が浮かぶ。オーバーの襟を深く立てていて、顔は見えない。男がうしろに引いている黒い影は、さながらその暗い過去の歳月を負っているかのように暗い。 作者は生前「内観造型」とい […]
2005年5月5日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 春ひとり槍投げて槍に歩み寄る 能村登四郎 評者: 山崎 聰 一読、槍投げのポーズをした古代ギリシャの彫像が思い浮かぶ。槍が手を離れる瞬間、すっくと爪先立ちになって、一瞬動きが止まる。そして投げられた槍は、遥か彼方で鋭い角度から地面に突き刺さる。彼はそれを見定めてから、ゆっくりと […]
2005年4月4日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 死して師は家を出てゆくもぬけの春 三橋敏雄 評者: 山崎 聰 三橋敏雄の師は西東三鬼である。その三鬼は、昭和37年4月1日、万愚節の日に、61歳で他界した。師の生前、作者はときどきその家を訪ねたが、師はいつも家を出ていて不在だった。そのこともあって、「死して師は家を出てゆく」が発 […]
2005年3月3日 / 最終更新日 : 2019年2月21日 gendaihaiku 現代俳句コラム 炭俵照らしてくらきところなる 小川双々子 評者: 和田悟朗 今日、ふつうの家では炭俵は置いていないだろう。しかし、火鉢や炊事などに炭火を用いていた五十年ほどの昔のころまでは、大抵は木炭を俵で買って納屋の隅などに置き、小出しして使ったものだ。炭はもちろん真黒だから、明るく照らして […]
2005年1月31日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 見えているだけで安堵や冬大樹 橋 閒石 評者: 和田悟朗 橋閒石第七句集『和栲』(昭和五十八年)所収。閒石は晩年、四空窓と名告って神戸の垂水に住んでいた。「四空窓」という号はかっての連句の師、寺崎方堂から譲り受けたものだ。四空とはもちろん東西南北のすべての方向を指すのだが、そ […]
2004年12月24日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 撫でて在る目のたま久し大旦 三橋敏雄 評者: 和田悟朗 「大旦」は「おおあした」と読み、一月一日の朝のことである。目は人間にとって外部の情況を早く認めるために最も効果の大きい重要な感覚器官である。新年の朝、目をさますと、目を見開いて部屋の中や外をしっかりと見て、ああ、自分は […]
2004年12月2日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム ラガー等のそのかちうたのみじかけれ 横山白虹 評者: 和田悟朗 ラグビーは日本では冬のスポーツであったが、最近は冬以外の季節でも試合が行われているようだ。 野球の甲子園に対して、ラグビーは東大阪の花園グラウンドが本場。生駒おろしの寒風の中で選手らは駈け廻る。ゲームが終了して、勝っ […]
2004年11月1日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 枯野ゆくおのれ一人が乱の中 伊藤二朗 評者: 和田悟朗 冬も深まってくると、いろいろの種類の草がしだいに葉を落とし、とうとう全部枯れ尽きた枯野となってしまう。冬の野は、夏にはあんなに草が競うように葉を茂らせて雑然ともり上がっていたのに、全部枯れ果ててしまうと、量の低い平面的 […]