蟬の羽開かず柩車行方知れぬ 小泉八重子 評者: 吉田成子

 小泉八重子という名前を頭に刻みこんだのは、氏の第一句集『水煙』が出版された頃、およそ40年前である。先輩がこの句集の作品を絶賛して、是非読むようにと貸してくれたのである。当時私はまだ初学の段階で、しかも所属していたのは純伝統派の結社だったから、前衛俳句には馴染がなかった。ほとんどの句が理解出来る範疇になかった。ただわからないながらも掲出句や次のような作品が強く印象に残った。
   死の予感秋が残した青手袋
   添え乳していま燃え落ちる故郷の橋
   脆き家やつけ火に映える根なし草
   影ふたつ水底の塔鳴り出す
 先輩が褒めたこれらの句は当時俳壇でも話題になったと記憶している。句集の序文で師の赤尾兜子は「この人のえらぶ風景は、つめたく透明な“冥暗の点象”であった」と述べている。この「つめたく透明」は私にもわかるような気がした。わたしの心に響いたのは作者のそういう内面世界ではないかと思った。以来前衛俳句にも興味を持つようになった。掲出句は難解といわれる前衛俳句に眼を向けるきっかけとなった句で忘れがたい。
 徐々に遠ざかる霊柩車はついに見えなくなった。それをたった一人で見送る人の姿と、そばにころがっている蟬の軀が風に吹かれている。そんな映像をイメージさせて怖ろしいほどの空虚な世界に引き込まれる作品。作者はこのときまだ30歳前後である。
 
出典:『水煙』
評者: 吉田成子
平成25年12月21日