2017年12月16日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 admin 現代俳句コラム 鬱鬱と秘密保護法六林男の忌 鈴木明 評者: 高橋修宏 鈴木六林男は、2000年12月12日に逝った。 東日本大震災はもちろん、安保法案改悪、秘密保護法の制定と、時代が音を立てるように新たな〈戦前〉へと傾いていくなかで、もし六林男が生きていたら、何を語ったのか。そして、いかな […]
2017年12月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 admin 現代俳句コラム 渤海へつづく卯浪に荒稲を 志賀康 評者: 高橋修宏 言葉によって想像された景色であるにも関わらず、一読して忘れがたいイメージを刻印する作品がある。歴史的想像力ということでは、与謝蕪村の「鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな」など著名な作もあるが、この一句はより悠遠で、かつ魅惑的な […]
2017年11月16日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 admin 現代俳句コラム 卵食ふ口のまはりの寒波かな 藤谷和子 評者: 松王かをり 「卵」とは、何を食べているのだろうか。ゆで卵やだし巻き卵ではないような気がする。それは「口のまはりの寒波」から受ける寒さのせいである。唇についた生卵が、寒さで一気に乾いて白い薄皮状になる様が浮かぶ。しかし、「食ふ」と詠 […]
2017年11月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 admin 現代俳句コラム 雪はげし書き遺すこと何ぞ多き 橋本多佳子 評者: 松王かをり 多佳子は、昭和38年2月、大阪の回生病院に入院、開腹手術をしたものの、すでに癌は胆嚢から肝臓まで浸潤しており、同年5月29日死去。享年64歳。掲句は、その入院の折、「雪の日の浴身一指一趾愛し」とともに短冊に書かれたもの […]
2017年10月16日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 admin 現代俳句コラム 水涕や鼻の先だけ暮れ残る 芥川龍之介 評者: 松王かをり 「自嘲」という前書のある掲句を短冊に書きつけて、芥川龍之介(明25・3・1〜昭2・7・24)は自死した。そのため、この句が辞世の句であるかのように言われることがあるが、厳密に言うと、辞世の句ではない。 というのは、芥 […]
2017年10月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 admin 現代俳句コラム へうへうとして水を味ふ 種田山頭火 評者: 加藤知子 山頭火(1882-1940)は水のソムリエかと思う。歩けば水が欲しくなる。おまけに大酒も飲むから喉が渇く。『行乞記』には水の美味さ不味さの記述が何か所かみえる。水は大事な生命線だが、一代自選句集『草木塔』全701句の内 […]
2017年9月16日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 admin 現代俳句コラム 一つの屍茫々霧をへだてけり 鈴木しづ子 評者: 加藤知子 俳人鈴木しづ子(1919-?)は、「夏みかん酸っぱしいまさら純潔など」や「コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ」で余りにも有名。 昭和27(1952)年1月1日。それら代表句が収載された第二句集『指環』の発行日。奇し […]
2017年9月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 admin 現代俳句コラム 蛍火の奥は乳房のひしめくや 橋閒石 評者: 加藤知子 半年程前のこと、明治36年(1903)生まれの橋閒石の句集『虚』が期せずして手に入った。というより、この句集の発行所である現代俳句協会に取り置かれていたものが安価で放出されたので、飛びついたのである。しかも、サイン入り […]
2017年8月16日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 admin 現代俳句コラム アーケード育ちで町の燕の子 齊藤美規 評者: 森野 稔 平成18年の現代俳句大賞受賞者の齊藤美規は糸魚川市の山間部を生涯の住処として風土俳句を詠み続けてきた。その糸魚川の市街地が平成28年の年末に折からの強風に煽られて未曽有の大火に見舞われる。 被災地を東西に横切る道路沿 […]
2017年8月1日 / 最終更新日 : 2019年1月11日 admin 現代俳句コラム わが厨大銀河から水もらう 白井重之 評者: 森野 稔 白井重之について「海程529号」(2017年1月号)において武藤鉦二が「風土一徹の男」と題して一文を呈している。白井の句は富山県立山の山麓で旦暮に山を仰ぎ、そこに土着して生活する村人との接点の中で多くの作品を残している […]