一つの屍茫々霧をへだてけり 鈴木しづ子 評者: 加藤知子

 俳人鈴木しづ子(1919-?)は、「夏みかん酸っぱしいまさら純潔など」や「コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ」で余りにも有名。
 昭和27(1952)年1月1日。それら代表句が収載された第二句集『指環』の発行日。奇しくも、彼女はその日に恋人アメリカ兵の訃報を受け取っている。そしてそれは、母親の墓建立という願いが成就した頃でもあった。
 掲句は、清純なイメージの<コスモス>や<夏みかん>に対し、それを否定するかの如く斜に構えた開き直り、または自棄のふうを装ったつぶやきとは、趣を異にしている。川村蘭太氏が取材で遭遇した未発表大量句約7300句の「昭和27年1月2日」条の一つである。
 昭和25(1950)年、しづ子31歳。同僚との結婚生活を短期間で解消し、叔母を頼って岐阜に向かいダンスホールダンサーとなった。当時、進駐軍のキャンプ岐阜はアメリカ軍兵士で賑わっていた。同年6月には朝鮮戦争(1950-1953)勃発。10月に恋人の「黒人」の「軍曹」(しづ子句に添えば)と同棲。ようやく掴んだ(と思った)陽だまり。負の幸福感。それは、精神的ギリギリの生活者同士の共鳴だったろうに、それも束の間。彼は朝鮮戦争へと送られる。女にとっての戦争は、いつも愛する人間を戦場へと送り出すこと。
 「好きことの電報きたる天の河」(『指環』)。戦場から電報をくれるような優しい恋人。だが、恋人は麻薬中毒によって廃人同然の姿となり、日本に一時寄港するも米国へ帰還、別離。そして、二度と会えなかった。ぼんやりと霧で繋がっていたのが断ち切られてしまい、独り取り残されてしまったのだ。「落暉美し身の係累を捨てにけり」(『指環』)の覚悟で選んだ境涯だったのだが。
 しづ子は、自分の体を張って経済的自立を果たした女性ではあったが、その一方で俳句という強靭な表現手段を手にもしていた稀有な女性でもあった。風俗嬢やAV女優、ダンサーなど女の性が商業化されるのはいつの世も同じ。だからと言って、何も悪いことはない。俳句を詠むほどに、のめり込むほどに人は強くなっていけるのだ。とはいえ、普通の主婦に納まり切れない女のさみしさやむなしさを感受するしづ子の感性は人一倍鋭かったことを思う。
 俳句はいつも傍に在り、味方だったはずなのに。ふたりを包んで隔てた霧に侵食されてしまったか。しづ子の消息は、昭和27年9月15日付け大量句以降不明のまま。

出典:『しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って』川村蘭太著、新潮社、2011年

評者: 加藤知子
平成29年9月16日