2002年12月31日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食はしむ 橋本夢道 評者: 阿部完市 治安維持法また戦争の只中―橋本夢道は、自らの思い・思想・心のままに、その生涯をつらぬき通した。食料事情の極度の悪化―「なんでこんなもん食わならんのだ。」「こんなもの食わしやがって、うちの女房は・・・。」こんなものしかな […]
2002年12月2日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 節穴をふさぎし指の一大事 久保純夫 評者: 阿部完市 障子の節穴、壁の節穴。覗いてみた。みえた。そののぞき穴をみると丸い。ぎざぎざでまるい。そっと指でさわってみる。ざらざらと指にさわる。それから、その指で穴をふさいでみた。穴に指をそっと入れてみた。考えるほどのことではない […]
2002年11月7日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 体内の水傾けてガラス切る 須藤 徹 評者: 阿部完市 硝子を切る。切られた、その硝子の傷を見る。鋭くて、瞬間という形に見えたりする-その鋭利、その人間の動作・行動の一瞬間ということを寫生して、一句。わが身体・全身を傾けて硝子をきりりと切断する。わが体内の水、生き物の水、そ […]
2002年10月1日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 山山の静止する日や赤ん坊 津沢マサ子 評者: 阿部完市 山は動かない -動かざること山の如し、である。けれども、それ本当かな。本当はあの山この山、いつも少しは動いているんだ、と私には思える。そうに違いない。そして、そんな山たちがほんとにしんと静かになって動かない- そんな日 […]
2002年9月2日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 霧に白鳥白鳥に霧といふべきか 金子兜太 評者: 倉橋羊村 眼前の次第に霧に包まれてゆく白鳥。その白鳥に視点を定めると、回りに立ちこめてきた霧が、動きながらやや深まってくる光景が思い浮かぶ。句中での主観客観のおのずからな切り替えが興味深い。さらに一句全体をつらぬくリズムが、静か […]
2002年8月1日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 花も葉も水にゆだねて水中花 亀田虎童子 評者: 倉橋羊村 水中で開く人工の花や葉が、水中花の見せどころである。箱庭感覚を更に人口的に徹底したものといってよかろう。異次元というほどではないが、ほどほどに、興ざめにならない程度の現実離れが、たのしめるのである。精巧を極めずぎなくて […]
2002年6月3日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム うつむきて尾のある形泉飲む 右城暮石 評者: 倉橋羊村 公園などの水飲み場で、台につかまって立ちながら水を飲む姿を眺めると、尾が垂れていた方がバランスの取れる形に見えるでしょう。この姿勢では、立派な尾を持たないと見すぼらしく、間のぬけた感じになるのです。両手で水飲み台にしっ […]
2002年4月25日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 枇杷に臍そら豆は口一文字 和知喜八 評者: 倉橋羊村 それぞれ一筆書きのように、枇杷の実とそら豆の特徴をたくみに掴んで表現しています。どちらも初夏から梅雨季にかけて、食卓に現れる食べ物ですが、それだけになじみ深く、主役よりは脇役という存在の仕方も親しめるのです。枇杷の実の […]
2002年4月1日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム めんめんと恋の鳥鳴く忿怒仏 丸山海道 評者: 倉橋羊村 美貌の十一面観音で名高い湖北の渡岸寺。正面のお顔の美しさとはうらはらに、後頭部にはぎょっとするほどものすごい暴悪大笑面が彫られていて、一度見たら忘れられません。忿怒像は明王に多く、四天王寺別院の愛染明王も、愛染の名にひ […]
2002年2月28日 / 最終更新日 : 2019年2月22日 gendaihaiku 現代俳句コラム 紅梅や和紙の手ざわり母に似て 後藤綾子 評者: 宇多喜代子 「母に似て」は、そこここに見られる常套的な表現です。ところが「和紙の手ざわり」という感触から入る母への思いには、他にないものがあります。それも「紅梅」を配したことでイメージを決定した感があります。うわついたところのない […]