灯が入るみんな空似をして帰る きゅういち 評者: こしのゆみこ
「空似」がなんとも不思議。この「空似」とはいったい誰の何の「空似」?日が暮れて家に灯が入る頃、みんな仲良くにこにこ笑って「またあしたね」等と言い合いながら帰って行く時の明るい顔つきの表情を空似といっているのだろうか。「空似」ってふつう特定の誰かを意識して指すものだろう。それを「みんな空似」って大勢をくくってしまって空似の概念を崩している。そしてこの句は「空似」ということで、書かれてはいない慣用句の「他人の」という言葉を知らず知らずおもいうかべさせる仕掛けにもなっている。「他人」という言葉が降りかかった瞬間、急にみんながよそよそしく、「空似」の仮面をみんな付けて家路に足を運ぶ映像が浮かんできて、明るい帰宅風景がシュールな風景に変わってゆく。
きゅういちさんの川柳句集「ほぼむほん」はこんなふうに何気ない日常風景の、ときには梯子をはずすような独特の言葉の斡旋で読む者を唖然とさせ、はては迷宮に置きざりにする。川柳の季語にたよらないテリトリーの広さの「謀反」ぶりが刺激的だ。
ほぼむほんずわいのみそをすするなり
ずわいのみそをすするほどの「むほん」が句集いっぱいにひろがっている。ちなみにきゅういちさんは大阪のパン職人で彼の焼くフランスパンが絶品とのこと。
少年琴になりたし日傘廻しをり
人事部の目があたかもを置いてゆく
常闇に盗まれし耳のはばたき
希釈したとたん香港映画めく
パサパサの忍び難きが炊きあがる
評者: こしのゆみこ
平成28年8月3日