へうへうとして水を味ふ 種田山頭火 評者: 加藤知子
山頭火(1882-1940)は水のソムリエかと思う。歩けば水が欲しくなる。おまけに大酒も飲むから喉が渇く。『行乞記』には水の美味さ不味さの記述が何か所かみえる。水は大事な生命線だが、一代自選句集『草木塔』全701句の内、「水」の付く句を数えたら85句。掲句は、その中の一つで、昭和3(1928)年『層雲』発表句。第1回目の行乞放浪途上の句。
大酒を食らい時に女を買い破戒を尽くし、修行に徹しきれない生身の人間が、山の水に口づけて飲むときの飲み方は「へうへうとして」なのだろう。<飄飄>というほど颯爽とはしていなくて、水の音を求めつつ歩き疲れて飲む水。一種<へらへら>にも通じるような。漢字で書く<飄飄>は、求道的な感じがするが、ひらがな書きは行乞放浪の旅にふさわしい。軽妙さもある。そして、「味ふ」は、切っても切れない水の味わい方の深い徹し方。そして、寂しがり屋の安らげる相手俳友等に対する接し方でもあろう。山頭火にとっての水は、愛を与えてくれるもの。だから山頭火は、そういう水にはなれない。
しかしながら、水へのこだわりや思い入れは強い。それは、生きたくはないのだけれど死ねない、どこか生への執着に引っ張られる精神疾患状態のなせる業なのか。山頭火が「私は人生の観照者だ」と言うとき、清水のような無欲で曇りのない純真な眼を感じる。唯一それだけが山頭火そのもの。それに、山頭火9歳3か月の時、井戸に投身自殺した母親の水死体から滴っていたのも水ではなかったか。
しづけさは/死ぬるばかりの/水がながれて(『行乞記』冒頭句の一つ)
昭和5(1930)年9月9日熊本市から汽車で八代へ。第2回目の行乞放浪の始まりである。「焼き捨てゝ日記の灰のこれだけか」(『行乞記』)
芭蕉は、ひたすら文学の高みを目指した「道」(タオ)的な旅人のイメージ。そして、俳諧におけるエリート。一方、山頭火は、人間の弱さ切なさを隠さず、捨てたものも捨てきれず、果ては死に損ないを晒しつつ、後悔反省を繰り返す。真面目なインテリ行乞放浪者。そんな山頭火は「詩として私自身を表現しなければならない」といみじくも言う。自分を謳い、そして「自画像」を書き上げるのである。憑りつかれたように。切実に。
出典:『山頭火著作集Ⅳ 草木塔』種田山頭火著、潮文社、平成8年
評者: 加藤知子
平成29年10月1日