実南天ときに農奴のにおいかな 中村和弘 評者:堀之内長一
中村和弘句集『東海』(2012年)より。中村和弘氏はいわずもがな、現代俳句協会会長で、田川飛旅子が創刊した『陸』の主宰である。
唐突である。ぎくりとする。農民や百姓とは訳が違う。農奴なのである。農奴解放という言葉もある。日本に農奴制はなかった。農奴と小作人とはまた別物である。農奴という言葉を作者がとらえたとき、それはおそらく何かの暗喩のはずであり、この言葉は、何ごとかを象徴するものかもしれない。
ときに農奴のにおいがするもの、それは何だろうか。一句一章として読めば、それは実南天そのものである。実南天を配合として読めば、農奴のにおいがするものはあらゆる多様性のなかで、読み手が恣意的に選択することになる。農業をめぐる最近の社会情勢を背景に置いて読んだとしても、この言葉は浮き上がっている。指示性を失って、まるで念の塊のようにそこに置かれた言葉。しかし、である。それにもかかわらず、それらを統べている主体は厳然とそこに存在する不思議。配された実南天のあざやかな赤は、まるで誰彼に発せられた危険信号のようでもある。
例えば次のような句。
初夏の軍馬のごとき砂鉄かな
軍馬という喩えの唐突さも同じである。それでも作者という主体は静かにそこに立っている。
句集『東海』の帯に記されている自選十二句を紹介してみよう。中村和弘氏が描こうとしている世界の一端が見えてくるはずである。
馬の背に朝鮮半島灼けており
捨缶に光年の秋とどまれり
スケートの刃光れば悲劇的
松越しの鴨の声なり英(はな)と聴く
むらさきに犀は烟りて大暑なり
立枯れの巨木の姿(なり)に夏の光(か)げ
船虫の熱もつ岩を祀りおり
一穴にて大鬼蓮の腐りそむ
鮎釣りの影がもつとも波うてり
蹄鉄は罠にも似たり冬ふかむ
熱血のロボット生みて椿咲く
神牛に痼疾の多き秋暑かな
評者:堀之内長一
2019年4月18日