木の根明く胎児はなにを見てをるや 宮坂静生 評者:清水逍径

 半年間雪に埋もれる雪国の人々には春が待ち遠しい。少しでも早く黒い地面を出すために、昔は道路の「雪割り」をやった。その黒い地面を歩くことが雪国の人々の春を実感する第一歩であった。豪雪地の雪もいつかは消えてしまう。里から雪消えは山を登ってゆく。雪は木の周りから消え始め、山毛欅等の大きな木の根元の雪がドーナツ状に消えてゆく。雪消えの頃、幹に聴診器などを当てるとゴーゴーという音を聴くことができる位に、芽吹きの準備として、大量の地下水を汲み上げる。そして、その幹からの放熱で雪が溶け輪ができるのである。この現象を雪国の人々は「木の根明く」、「根開き」等と呼んでいる。
 作者宮坂氏は著書『語りかける季語ゆるやかな日本』で地理用語の「地貌」を「風土の上に展開される季節の推移やそれに基づく生活や文化まで包括することば」として捉え、広く「季節に関する『地貌季語』とした」と述べている。そして、地域で定着している独特の季節感あふれる言葉を季語に準ずる「地貌季語」として蒐集し、その中の一つが「木の根明く」である。
 掲句は木の根を人間の母体と見なしているのだろうか。今まで雪に閉ざされていた木の根が雪解けにより見えてきた。逆に、木の根からは雪で閉ざされていた外界が明るく見えてくる。それは、まるで胎児が今まさに母親の子宮から生まれ出んとしているところを捉えて、「胎児は何を見てをるや」ではなかろうか。春を迎えた時期の新しい命と呼応した作者の感慨と言える。
 宮坂氏は縄文中期から人間が生きる上で何が大事かというと、お母さんのお腹から赤ちゃんが生まれることが一番大事と言っている。暗闇から遮るものがなくなり、木の根が「開く」ではなく新しい命誕生の光りの差すことの「明く」である。
2010年12月1日現代俳句データベースコラムに掲載されたものです。

評者: 清水逍径
平成31年4月1日