五月晴れ ゆつくり ターンを 乳母車  大高弘達 評者: 阿部完市

 一句中、三つの休止が設けられている。五月晴れ、ゆつくり、ターンを、と区切って一句詠みはじめ、乳母車、と詠みおわる。十八音の間に、一音づつ――三者の休止があり、二十一音によまれる。そして、この一句の、その乳母車が、ゆっくり、ゆっくり、ぐるりとターンさせられるその動きが、詠むものによく感取されるように、一句構成され、その音の刻みが注意深く企てられている。ゆっくりと、赤ん坊をあやしながら、またよくねむっている、その子の顔をみつめながら、乳母車をあやつっている。そんな人の動き、心の動きがよく表現されている、一句。
 五月晴れの或る一日、乳母車に子をのせて、家を出る。ゆっくりと乳母車を押しながら、その五月晴れの空の下を行く。男の子なのか、女の子なのか、まだおすわりも出来ないその子を連れて、ゆっくりと行く。すすむ。ふと麦畑の傍に出る。少し風が出ている。その風を気遣って、乳母車の幌・ほろを広げてやる。
 まだよくまわらない口をもごもご動かして、何か言っている吾子。何言ってるんだい、と声をかけてやるとにこりと笑う。そんな一組の親と子。穏やかな、こんな人間のひとつの時間、一こま、そんな心のけしきが見えてくる。こんな親子のやさしい会話がみえて来て、暖かい時間――その写生である。
 ゆっくりと、乳母車をぐるりとまわして……。この乳母車、すなわち幸せということ。人の心のこと。その一句。
 
評者: 阿部完市
平成21年1月1日