渡り鳥わが名つぶやく人欲しや 原 裕  評者: 倉橋羊村

 昭和二十八年作。作者の彼と、まだ親しくなる前の句である。
 作者と川崎三郎、それに私の「三人の会」を始めたのは、昭和五十四年初冬で、鈴木鷹夫の処女句集『渚通り』の出版祝のあと、三人で飲み直した折のことだった。
 作者と私は一つ違いで、まだ四十代後半、三郎だけ四十そこそこの若さだが、それぞれ俳壇ではそれなり認められていた。
 原裕はすでに、「わが名つぶやく人」を得ていたし、その頃は「初夢の半ばを過ぎて出雲かな」「十一面観音桜見にゆかむ」などと自在の句を作って、句風の転換期にあった。
 しかし、作者の没後、久しく時が経ってみると、現夫人と出逢うまでの一途な思いが、この句から切々と伝わる思いで何とも忘れがたいものがある。
 三郎の亡くなる前、作者と二人で最後に病床を見舞った時、既にものが言えない状態で半身を起こしていたが、こちらの言うことはみなわかるので、いかにももどかしげに苛立っていた。
 病室を出る時、結局睨むように両眼に力をこめて、そのまま凝視を続けた。
  流し雛天を仰いで押し黙り
 原裕が三郎没後に詠んだ句で、この句の意味は二人にしかわかるまい。その後、裕も亡くなり、「三つ星の二つはすでに露灯」と詠んで、私は彼の柩に手向けた。
 
評者: 倉橋羊村
平成21年1月27日