良寛の喜びさうな春の雪 石 寒太  評者: 田中不鳴

 良寛の喜びそうな春の雪とは、どんな春の雪だろうか?最初は春になって降る雪ではあるが、その中の一つの形態かと思った。そうであれば絶対に牡丹雪だ。きっと恥かしげもなく、両手を叩いて良寛は喜ぶ筈、と思った。春の雪という語感は、温暖な地方に住む者の印象、と歳時記にはある。更に『北越雪譜』には、春の雪は消やすきをもって沫雪(アワユキ)といふ、和漢の者消やすきを詩歌の作意とす、是暖国の事なり、寒国の雪は冬を沫雪ともいふべし…とある。良寛は越後の人、牡丹雪が降ってもそれは冬だと言われてしまいそうだ。雪の降る間は寒い所では冬だと体感的に思われているらしい。節気的に春であれば、雪が降ったら春の雪と思っても良いと、暖国に住む私は思っている。歳時記に於ける地域差は仕方のないこと。詩人であり歌人であり、能書家でもある良寛ではあるが、子供と一緒に遊んでいるのが一番良寛らしいと思えませんか。そう思えるなら、もうすぐ雪も消えて、子供達と日の暮れるのも忘れて、遊ぶことが出来るぞと、喜んでいる良寛の姿が、眼に浮かんで来ます。そうなれば掲句は春の雪なら、どんな形でも良いことになるし、春の雪の表現で充分でもある。でも理屈抜きに、牡丹雪と思いたいのが私である。
 雪は空気中の窒素を取りこんで降ってくる。それが稲作の肥料ともなって、豊作となることを良寛も知っていた筈だから、農民の生活が楽になることを、無意識的に喜んでいたと付加するのは、深読みとは判っているのだが……。
出典:現代俳句年鑑’09
評者: 田中不鳴
平成21年2月25日