寝て涼む月や未来がおそろしき 小林一茶  評者: 後藤 章

 一茶には他にも「未来」を使った句がある。
   花の影寝まじ未来が恐しき
   けふは花見まじ未来がおそろしき
 一茶はよっぽど「未来」が怖かったと見える。仏教でいう「未来」は、存在するものが変遷してゆく姿としてとらえているらしく、現在の結果としてある「未来」と考えるらしい。そこから、現在を大事に生きなさいという戒めが出てくる。そうすると一茶は、現在、ただ今、自分が行っていることにおいて「未来」が恐ろしいといっていることになる。けっして、時間的な意味の未来に何がおきるか解らないと考えて、「恐ろしき」と思っていたわけではない。それは現代人の考える未来なのだ。
 さて「未来」が恐ろしいと初めて句にしたのが1818年だが、その時一茶は何をしていたか。この時点では継母との相続問題も解決し、ふるさとに戻って最初の結婚をして4年、子も出来ていた。55歳である。しかし多くは旅にあったようである。旅のあいまあいまに帰郷しては再婚し、子を生していたようであるが、幼くして死ぬものが多かった。
 この逆縁を嘆かぬものはいないだろうが、それ以上に、「七番日記」に印をつけていたといわれるぐらいの性欲をもつ自分、あるいは旅に出ないではいられない風狂の自分を恨めしく思わずにいられなかったのではなかろうか。この自己否定の精神は十分に近代的だが、その否定の契機が仏教にあるという点においては十分に近世的であるとも言える。しかしながら現代の殺伐とした事件を見ていると、恐れる「未来」があったほうが良いようにも感じる。
 
出典:『一茶七番日記』(岩波文庫 上下)
    寝て涼む・・・1818年作
    けふは花・・・1818年作
   『一茶俳句集』(岩波文庫)
    花の影・・・・1826年作
評者: 後藤 章
平成21年8月11日