両手挙げて人間美し野の投降 金子兜太 評者: 宮崎斗士

 一九七二年(昭和四十七年)発行、兜太の第四句集『暗緑地誌』所収の一句。
 『暗緑地誌』のあとがきに「五年まえの夏、緑林と田の熊谷に移った。(中略)それから現在まで、東京とのあいだを往来し、日本列島のどこかを歩き、地球上の戦争を憎んできた。そしていつか、私のなかに暗緑地誌の語が熟した」とある。また兜太は後に『暗緑地誌』のことを振り返りつつ「高度成長期という時代に対する私の反時代意識というものがあった。反措定。暗い時代だという思いがあったんです。モノがどんどん出てきてみんな豊かになるけれど、これで人間の心というものはいいのかなと思ったんだ。生な人間というものをもういっぺん見直さなければいかんということだ」と述べている。
 掲句では、投降する者を非難するわけでもなく哀れむわけでもなく、ただ「美し」と捉えている。「そうだ、それでいいんだ」という兜太の端然とした、そして慈愛に満ちた眼差しが読む者のこころに深く沁みてくる。また下五「野の」とすることで人間と大自然との強い交わりを詠ったとも解釈できよう。それもまた人間の一つの生な姿である。
 生涯の俳句活動において、人間のあるべき姿を追求し続けた兜太―。
 掲句は、後に兜太が提唱する「存在者」というキーワード……「存在者とは〈そのまま〉で生きている人間」にも通じる、まさに兜太ならではの人間賛歌なのであろう。
 
※『現代俳句』2018年7月号金子兜太追悼特集「忘れ得ぬ一句鑑賞」より
評者: 宮崎斗士
平成30年12月15日