雪残る頂ひとつ国境 正岡子規 評者: 豊田都峰

 俳句とは何か。残念ながら答はない。誰もが相対的に答を出しているのが現状である。私にも私なりの答はある。その原点になっているのが掲出の作品である。
 子規は「俳句分類」という方法で以前の作品を収集した結果、あまりにも同じような作品が繰り返されていることに気付き、それを「月並」とした。知識による発想・使い慣れた語句の狭さ・流派的という同志意識などがそれをもたらしているとし、それらの俗調・繰り返し、結局頭で考えて作句からの解放として「写生」を提唱。その路線でうまれた作品と認識している。それを原点としているということは、その延長線上に私の「俳句」の答があるということである。
 いずれにしろ、俳句を学び始めた頃に、子規のこの作品に触れ、この簡潔さ・平明さ・明瞭さ・印象の深さ・そこらにはない鮮やかさに感銘し、以後いろいろな時に、この作品を思ったり、迷えばここに戻ったりしての今日までである。
 子規に明治一八年作に次の作品がある。
  雪ふりや棟の白猫声ばかり
 「古今和歌集」凡河内躬恒作
  心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花
などと同趣向である。子規もこの辺りから出発して、やがて「古今」を否定し「写生」に至りつくのである。原点の大切さを思い返している。

出典:『俳句稿巻一』明治三二年作

評者: 豊田都峰
平成22年2月11日