雁(がん)も舟も海峡わたるとき迅し 石原八束 評者: 佐怒賀正美

 八束の生前最後の作。雁に「がん」と振り仮名が付いていたことに一時は驚いたが、八束の心中を忖度しすぎた嫌いがある。一般的に見れば、「かり」か「がん」か読者が迷わないようにとの配慮であったのだろう。
 海峡の早い流れに流されまいと舟は速度を上げて渡ろうとする。雁も海峡に差し掛かると、海に引き込まれて落ちないように速度を上げる。実景としても成り立つだろうが、やはり虚構の色合いを強く感じる。「海峡」にはこの世と彼の世の境との作者の意識が入り込んでいよう。最後の難関を切り抜けて早く平安の彼岸に辿りつこうと、最後の力を絞っているような印象を受ける。最後の生き急ぎをしているのだろうか。
 しかしながら、ここは多少主観的な受け止め方かもしれないが、悲痛の翳りはあまり見えず、むしろ見知らぬ世界へ惹かれるかのように速度を速めていく明るいロマンのようなものすら感じる。
 時代的にも個人的にも悲惨なことが多かった八束だったが、俳句という十七音詩に夢を抱きつづけ新しい世界を追求し続けてきた。この句は、そうした自らの人生への最後のはなむけであり、この世への訣別の覚悟を込めたものではなかったか。八束自身は、この句を含む群作を総合誌に寄稿後、入院することになるが、以後句作をすることはなかった。俳人としての潔い最後の作であったと思う。

出典:『春風琴』(遺句集)
評者: 佐怒賀正美
平成22年12月1日