五月雨や死んでいくにも歯をなおす 貞永まこと  評者: 河野輝暉

 死を扱っているのに、こんな靜謐な俳句の表情でいいのかと戸惑う。和辻哲郎の、日本の国民性について語った「しめやかな激情。戦闘的な恬淡」という相反する二重性をこの句に合理化すれば解決がつくのだろうか。瓢水の「浜までは海女も蓑着る時雨かな」とどこか似ている。どうせ近いうちに死ぬ、どうせ海水に濡れる。これを承知で、煩らわしくとも苦しくとも実を結ばずとも今なすべき日常些事は果さねばならないのだ。掲句は深刻さばかりではない。仏教の四苦のただ中に在りながら面魂のあるユーモアがあり、救われる。作者は死病を得て、闘病生活をしながら句業を紡いだ。享年五二歳とは夭折と言え、残念である。貞永氏は私と共に大分県現代俳句協会の会員として、平成十年頃からの俳縁であった。九州俳句賞や天籟通信俳句賞を死に間に合わせた如くにとり、濃密な作句生活を送った。協会の会報の掲載された文章は印象深く、氏の哲学、情感、洞察、俳句観を垣間見る思いがする。「水平線の彼方に四国を望める文句なしの晴天を“四国を良う見すんのう”と言って国東町の漁師は讃えるのだそうだ。“見える”との言い回しではない此の表現には、日々決して同じ表情ではない、風や雲も胎んだ海の息遣いに対する人間の側の謙虚な現在性が横たわる。ここには征服する対立概念でなく恵みへの感謝がある。巨大なものに受身を用意しながら、主体として生きる者の現実が言語化されていると考える。」
 まこと氏は己の死を予感するに当り、自然随順による諦観と感謝の念を深めたのだろう。良寛禅師が越後地震に因んだ知己への言葉「死の時節には死ぬのがよく候」を地で行ったのか。娘さんの父についての思い出に「父は人に対して、ありがとう、を言いなさいと厳しく躾けられました」とあり、符号する。
 
出典:『貞永まこと句集』
評者: 河野輝暉
平成23年7月11日