ぬくめ雑煮や生駒山や山や山や 稲葉 直 評者: 金子 徹

 この何とも破調で、くどくどしく思われる<山>の繰り返し。作者稲葉直とは、面識もないが、私の先師岡崎水都との、誌上における書簡往復を読んで惹かれた。
 まず、水都は創刊間もない「羚」2号でこの句を、<好きな句だ。“破格豪胆”の勝利である>と書いたのに対し、稲葉直の返書に「この作、ぼくの価値作としては、自分ながらハズカシイ作で、不満足さがあり、当句への共鳴、貴台の本音なのでしょうか」と書いた。折り返し「羚」4号で、水都は「本音なのでしょうかは、詢に心外。<ぬくめ雑煮や>の導入部に、早くも拡がるこの作品の暖気を感じとった。単なる生活風景でなく<生駒山や山や山や>の言葉にこめられた思念や、生駒山に従属する山々でなく、愛をこめて指さす山の一つ一つの切情を読みとった。畏敬の稲葉兄よ、本音である」と返した。
 稲葉直の句集『数刻』に「破格」についての一文がある。<俳句熟練を「破格道」ともいえる常識外れに求めてこそ、生命の肌理が純粋さを際立たせる、だからと言って、定型を置き去りにするようなことは本意ではない。決してない>。この稲葉直の主張する「破格」は、岡崎水都の「五七五の定型を墨守しない形の自由を、あえて<定型精神>と私は呼ぶ。それは“最短詩である俳句に立ち向かう決意を言う”したがって僕の言う定型精神は、ほかならぬ稲葉直氏のいう「破格精神」に一致するものと思っている」。まさに二人は、肝胆あい照らす仲だったと言えよう。

出典:『数刻』(現代俳句の100冊)
評者: 金子 徹
平成23年7月1日