萱さむし日本国立療養所 田原千暉 評者: 河野輝暉

 物足りないくらいシンプルな構造の句。リズムの良さとで覚え易い。一句中、12音節を一つの施設名で独占させていて、恰も金魚鉢を鯨が独占した様だ。作者には、挺身しての平和運動の旗手として、俳句が人口に膾炙されているが、掲句はもの陰にかくれがちである。だが、この句にこそ千暉俳句の作句手法が隠されている。前書きに「別府医療地区」とある。作者は昭和十七年、大阪の建築会社の委託学生の時に倒れ、一夜にして生涯の半身不随の身に。以後、八十歳近く迄、反戦をテーマにして句作と市民運動を超人的に実践。掲句は療養専念時代の昭和二十八年の作。
 「萱さむし」だけで何と多くのこと語っていることか。これぞ俳句の真髄であろう。萱は秋の季語。繁茂のイメージは夏に近い。そこへ冬季の「さむし」が続き重季と言われそうだ。「冷めたい」と「寒い」の差異を考えれば此の「さむし」は気温と違う。心理だ。聞いたこともあるだろう、ナツメロの「夜は冷めたい、心はさむい」を。他に、貧寒、寒士、寒村、(原子力発電所の安全管理は)お寒い限り、等と使う。一療養所の、除草にも手の回らない環境と、それに象徴された医療技能の貧困。入院患者の作者の苛立ちは、単に一個人の愚痴に終わらない。ひと本の萱。そこから日本中の医療行政への正当な要求を触発している。この作者は、他の例に見るように固有名詞を大胆に独占させ、成功させる特技は見事である。
  寒夜凛々映る小林多喜二の名
  祭太鼓どんどこ徳田球一亡し
  冬満月熱し赤松俊子の手
千暉は、私が高校生の時に、新聞投句という形で俳句開眼に導いてくれた生涯の恩師である。特に上述の句「寒夜」に鮮烈な衝撃を受けてより今年が六十周年になる。

出典:『車椅子』 

評者: 河野輝暉
平成23年8月1日