大鷹の空や一期の礼をなす 宇多喜代子 評者: 船矢深雪
大空を悠々と舞う大鷹の英姿に、作者は一期の礼を深々と、それに対して大鷹も一期の礼をする。この表現は作者宇多喜代子さんのために用意された特別の言葉であり、俳人宇多喜代子のwhole life がこの一句から彷彿する。
一柱の真直ぐに添うて霜柱
宇多喜代子は現代俳句協会会長の要職にあり、名実共に日本を代表する作家として東奔西走の多忙な日程の中に自分の使命としての仕事に着目しやり遂げている。自ずと頭の下がる思いである。
歴史に埋もれゆく傑出した俳人の発掘、若手俳人の育成等々。又俳人宇多喜代子として新境地を開拓する詩精神は新鮮で瑞々しい。
掲句二句は新著『記憶』の自選句にある。
一頁三句百二十一頁のこの瀟洒な句集のあとがきに、<振り返れば一句の背後に、消した百語千語や時のひろがり、おもいの深みが蘇ってきます>とある。時のひろがりやおもいの深みを読む側に任せるような端正で真摯な表現が集中に透徹している。
桂信子が「草炎」を月刊誌として創刊の昭和四十五年より編集長として活躍、師とあおぎつつ二人三脚で歩んだ此の作家二人の軌跡は無条件に素晴らしい。聡明利発な二人の切磋琢磨あればこそ、又日々の地味で誠実真摯な態度は、「日本の俳句」という神聖なものに仕える巫女だったのではないかと思わせる。
宇多喜代子は編集責任として、俳人桂信子の作品五二一八句を収録した全集をふらんす堂から刊行。
二人の関係は師弟ではあるが主従ではない。昭和十年山口県生まれの宇多喜代子は、現代俳句協会賞、蛇笏賞を受賞の実力者である。
甕底にまだ水のある夕焼かな
水を飲むための自力や日雷
出典:第六句集『記憶』
評者: 船矢深雪
平成23年10月21日