山吹や喉がふくれて啼く蛙 高濱虚子 評者: 橋本 直

 各務支考『葛の松原』によれば、「蛙飛こむ水の音」を得た芭蕉に、其角が「山吹」を上五においてはどうかと言ったとか。芭蕉はその弟子の進言を入れず、「古池」をもちいてあの一句が成ったのだという。巷間、本意としては蛙が鳴くものとして詠むところを芭蕉が飛び込むものとして詠んだのが掟破りであったと聞くけれども、本意に照らしてみると、歌語としての「山吹」の方は水の側に咲くものということで鳴く「蛙」とセットで詠まれてきた。なるほどそれでは詠みぶりの革新にはならない。
(1)かはづ鳴く神奈備川に影見えて今か咲くらむ山吹の花  『万葉集』厚見王
(2)蛙鳴く井出の山吹散りにけり花の盛りにあはましものを  『古今集』詠み人知らず
(3)山吹の花色衣主や誰問へど答へずくちなしにして  『古今集』素性法師
(4)物も言はでながめてぞふる山吹の花に心ぞうつろひぬらん  『拾遺集』清原元輔
(2)の井出は井出川のこと。すでに(1)の万葉集の歌から、鳴く蛙と川と山吹は詠み込まれていて、他に花の色がクチナシゆえに恋歌としては(3)や(4)のような詠み方もされてきた。
 俳諧ではその本意を踏まえ、転がしてみせる。
  山吹は咲かで蛙は水の底   鬼貫
  山吹や井出を流るる鉋屑   蕪村
鬼貫は本意に沿って山吹と蛙を入れつつも、ないないづくしにして俳諧にしているし、蕪村は古今集にも歌われた雅な井出川の山吹を俗な「鉋屑」の見立てとする俳諧ぶりである。
 掲句は初出は子規選の「日本」(明治32年4月18日)。子規生前の虚子の句だが、和歌以来の山吹と鳴く蛙のセットをまま読み込んでいる。この頃彼らは本意に対しては否定的なはずなので、これを是としたのは興味深いところである。蛙の喉に焦点をあて「ふくれて啼く」と「写生」したのが虚子らしさだろうか。

出典:改造社『俳諧歳時記春之部』

 評者: 橋本 直
平成23年12月11日