雨季来りなむ斧一振りの再会 加藤郁乎 評者: 高岡 修
2010年に刊行した『高岡修句集』のあとがきに、私は、
詩・短歌・俳句・小説という文学ジャンルにおいて俳句はもっとも新しい文学形式である。ということは、俳句が文学における進化の結果であるということにもなる。進化の結果が最短詩であるということもまさに驚嘆すべき事実だが、もし進化の最先端であるとするなら、俳句の体現する世界もまた最先端でなければならない。
と書き、新興俳句以降の代表句として次の五句をあげた。
蝶墜ちて大音響の結氷期 富澤赤黄男
広島や卵食ふ時口ひらく 西東三鬼
彎曲し火傷し爆心地のマラソン 金子兜太
少年来る無心に充分に刺すために 阿部完市
雨季来りなむ斧一振りの再会 加藤郁乎
五句の順序は制作年順に従っている。不思議な符合だが、二句目と三句目は原爆がテーマであり、四句目と五句目は社会における人間がテーマとなっている。
じつは、これまで私はカミュの『異邦人』をもっとも秀れた現代小説としてきたのだが、その世界を体現した俳句を阿部完市の掲出作品だと思ってきた。ところが、最近になって頻出する殺人対象への理由の無さには、もっと別のものが潜んでいるように思えてならなくなってきた。そこに私は、とてつもなく屈折した愛のようなものが見えてならないのだ。つまり「斧一振りの再会」という形での新しい愛である。そういった意味においても、この加藤郁乎作品は秀れて現在の最先端の文学なのである。
出典:『球體感覺』
評者: 高岡 修
平成24年4月21日