栗咲いていちばん遠き喉仏 塩野谷仁 評者: 渋川京子

 作者六十五歳頃の作品である。現在七十八歳の私には大いに共感出来る一句であるが、自分がその年齢の時にこの作品を理解出来たかどうか心許無いものがある。
 体力、気力共に充実さなかの男性が、自分の喉仏を意識して、しかも何を基準に一番遠いと把握されたのか興味深い。
 その裏側には声帯がある訳で、男性にしか具わっていない喉仏を羨ましいとは思わないが、何となく納得ゆかない可笑しさがある。
 しかし、だからこそ喉仏にこだわられたのだろう。自分の中心部と思える位置であり急所でもある。距離の遠近などはるかに超えた茫々たる命の存在を確かめての思いが伝わってくる。生半可ではない自己凝視の強さを知ることが出来る、その「遠さ」なのだろう。
 第六句集「全景」は平成21年発行、その二年前の平成19年には現代俳句協会賞を受賞されている。句集「全景」には充実した作品がびっしりと詰まって居り、<地球から水はこぼれず桜騒>、<遠くの人より仆れだす春景色>、<うたたねの真中にひらく白日傘>、そして句集名となっている、<一月の全景として鷗二羽>、等々高い評価を受けている。
 どの作品も判り易いように見えて実は硬質の抒情性にぶつかり乍ら読まねばならぬことを思い知らされるという、重厚な意志を秘めた作品群である。
 「海程」を俳句の出発点、と宣言し現在も同人に籍を置いて居られる。平成11年同人誌「遊牧」を創刊、代表として前進中である。
 「まるごとの自分を曝け出し一人歩きをしてゆく」、現代俳句協会賞を受賞された時の言葉そのままの姿勢を貫く、「意志の人」として注目している。

出典:『全景』

 評者: 渋川京子
平成24年6月21日