寒梅や鏡老いたる人の家 八田木枯 評者: 遠山陽子

 八田木枯は、ホトトギスに投句していた父海棠の影響で、昭和十四年ごろ、即ち十四歳ごろからホトトギス風の俳句を作りはじめ、しばらくの間熱中したという。ところが、昭和二十二年、二十二歳のこの句にはホトトギス調は一切感じられない。
 終戦から「天狼」までの三年間、草田男の『来し方行方』、楸邨の『野哭』、誓子の『激浪』など、現代俳句の最高峰ともいうべき句集が次々と出版される。これは、最も多感な時期にあった木枯が、その刺激を存分に吸収していった時期の作品なのである。すでに、壮年以後の木枯の俤を垣間見せているような、老成したこの作品は、誓子に褒められたものだという。このあと木枯は、「天狼」に目覚ましい作品を出し続け、誓子をして「こういう作品を以て遠星集を飾りたい」とまで言わしめるほどの作家になってゆくのである。 
 さて、鏡は、木枯が生涯を通じて好んだモチーフのひとつである。虚実のあわいを出入りするような幻想的な作品を作る木枯にとって、鏡は絶好のモチーフなのであろう。
   
   花狩のおひつめられて捨て鏡    『天袋』
   鏡荒れ鶴はたちまち妊りぬ     『夜さり』
   黒揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒     『鏡騒』
   ろくぐわつはうたかたの月捨て鏡  『鏡騒』

 ところで、鏡が老いたという発想は、当時あったであろうか。人々は、その表現の斬新さに驚いた筈である。
 寒梅の木のある、鄙びた家が見えてくる。その家の中には一枚の鏡。おそらく古びた鏡台であろう。その鏡の前に坐している人も老いた女性であり、その後ろに映しだされている家の中も、全て古びた景色に見える。それを全部ひっくるめての「鏡老いたり」なのである。鏡の表面の、そこだけにある冷たく鈍い光を感じるとき、いっそ不気味な感じさえ受ける。しんと沈みこんだ侘びの世界を描き出したこの巧みさは、二十二歳の青年のものとは思えない。

出典:『汗馬楽鈔』 1988年 深夜叢書社
評者: 遠山陽子
平成24年7月11日