凍鶴を廊下の奥に折り疊む 八田木枯 評者: 遠山陽子

 鶴も、八田木枯の作品に多く登場するモチーフの一つである。

   逢坂や微熱の鶴は夜遊びに
   引鶴のばさつく音の夜陰かな
   鶴引きし夜をうずきたる指かな
   鶴よりもましろきものに處方箋
   半鐘は下ろされ鶴は歸るべう
   鶴守の狷介の皃肘で拭き
   鶴のこゑ繪具をしぼりだすごとく
   折檻はすまじ冰りし鶴ならば
   鏡面に微熱の鶴が直カにふれ
               『鏡騒』より

 特に、八十代に入ってからの第六句集『鏡騒』に鶴が多いような気がして、抜き出してみたら、こんなにあった。一句集三百八十句のうち、掲出句を含め十句というのは、かなり多いのではないか。というより、只事ではないような気がする。
 そこで、「鶴」について考察すれば、木枯俳句を解明する大きな鍵になるのではないかと思い立った訳である。
 鶴は、木枯にとって何を意味するものなのであろうか。何かの暗喩なのであろうとは思うが、一句一句見てみるに、特に統一した喩と言うものはないような感じを受ける。
 第一句目の微熱の鶴は、作者自身の姿であろうか。大津の逢坂を配したことで、また微熱の鶴であることで、なにか色っぽく、上方の粋人の姿が見えてくるような一句となっている。第二句の引鶴は、このまま現実の鶴として鑑賞できそうだ。引鶴の騒がしい音を聴いている作者の宵ごころが表現されている。第三句は、鶴の引いてしまった夜の心騒ぎを、指の疼きで表現した情感の句。第四句は鶴の白さと処方箋の白を並べたところに意外性があるが、唯の紙でなく、処方箋であるところに少し湿った作者の心の在りようが見てとれる。…と、こうして見て行くと、鶴は、八田木枯の際だって豊かな情感と美意識が織りなす艶なる心のさまざまを、形にしたものではないかと思い当たる。
 掲出句は、前出の「折檻はすまじ冰りし鶴ならば」と対になったような内容の句となっている。
 たおやかな頸を持つ、白く高雅な凍鶴を、廊下の奥で折りたたむという、王朝絵巻風の、美しく、しかも隠微で嗜虐的な場面である。凍てた細い頸や脚が折れるぽきぽきという音までもが聞こえてきそうな、凄惨な美に息を呑む。木枯が青年時代に耽読したという谷崎潤一郎に通じる、陰影礼讃の美学が生みだした白昼夢の世界である。
 八十代の木枯は、いよいよ自由に存分に、己が生む幻想の世界にあそぶのである。鶴とは、木枯俳句の真髄を、最も端的に表すモチーフだと言えるであろう。

出典:『鏡騒』 2010年ふらんす堂刊

評者: 遠山陽子

平成24年8月1日