霧笛の夜こころの馬を放してしまう 金子皆子 評者: 山中葛子

『花恋』の「白い花白い秋」の章に収められているこの句は、診察治療を受けるために海辺の街に滞在する皆子の部屋の濃密な静けさと繋がってくる。
  エレベーターで五階へ冬空ののっぽ
  鯛焼き一つ私に秋の窓二つ
  誰もいない点らない冬の部屋一つ 
 千葉県旭市のホテルサンモールの五階へエレベーターで昇るその部屋には二つの窓があり、たいていは片方にカーテンが降ろされ深海のごとくに仄暗く、霧笛が聞こえてくる。日常をはなれた一人だけの創作意欲のわきあがる部屋であった。「草原のなかに全身を投じたい」の皆子の言葉があざやかによみがえる。「こころの馬」とは天然のままを生きる野生の馬であろうか。霧笛と馬の嘶きが溶けあう解放感がとげられたファンタジックな作品である。
 また、二つの窓の風景は、『花恋』の「白丁花」の章に収められた佐藤鬼房逝去への句に繋がってくる。
  鬼房亡し誘われるごと寒の雨
  冬の湖沼の光に同じこころかな
 冬の雨が降り続いている窓。海とは反対側の街並みの向こうに冬の光をどんよりとたたえている湖沼は、「海程」の初期を共にした同志鬼房を亡くされた無念の涙のよう。俳句の道への尊敬が実感される。
 
 病んで良かった! 
 これは現在只今の強烈な思い。
 病んで申し訳なかった! 
 これは家族、特に息子夫婦への思いです。  「あとがき」より
 
俳句形式への尊敬が語られている闘病の1186句が収められた句集『花恋』の作家姿勢が鮮烈である。
 
 
出典:句集『花恋』平成16年12月18日角川書店刊
評者: 山中葛子
平成25年4月21日